満たせぬ臓器に私は透明な薬を注ぐ

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今、私の目の前には一冊の書類が置かれている。 〝説明文書及び同意書〟 膵臓がんの新薬の治験に参加しないか、という打診が医師からあったのだ。治験の内容についての説明が医師とスタッフから一通りされたが、私の頭に残った内容はその一部でしかない。 その新薬は母の生存期間を伸ばすことができる可能性があること、仮に治験に参加したとしても新薬が投与されない可能性があること(〝プラセボ対照群〟というらしい)、どちらの群に割り付けられるかは私たちには知らされないこと、治験の途中でも同意を撤回することで治験の参加を取りやめることができること、検査費用などの医療費は医療機関側の負担となり、逆に参加者には一定の費用が支払われること。 その治験に参加するかどうかは、私の決断に委ねられていた。本来であれば、参加者本人が意思決定をするようであるが、若年性認知症の母のように意思決定能力が不十分であると判断された患者については、家族など〝患者のメリットを最優先に考えられる人〟を代わりの同意者に据えるとのことであった。 母も私の隣で治験に関する説明を聞いてはいたが、一体どれほどのことを理解できているのだろうか。 同意書にはすでに医師の署名が記載されていた。 私は医師の署名の上の欄に、特に迷うことなく母の治験参加に同意を示した。 ※ ある日、母の見舞いに病院を訪れた際に、母の担当医とスタッフの会話を耳にしてしまった。 「この前、治験に同意してくれた小野寺さんの割り付け結果、対照群だったらしいですね」 「そうなんだよ、小野寺さんには申し訳ないけど、こればかりは僕たちではどうにもできないことだからねえ」 「それじゃあ、今まで通り標準治療だけで治療は進めるということですか」 「治験の決まりで使える薬にも制限がかかっているから、他の薬を増やすことはしないつもりだよ」 私は足早にその場を通り過ぎた。 ※
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