遺書

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娘が命を落とした時、私は苦痛を感じました。もう二度と娘の顔を見ることは出来ないんだ。二度とあの、無邪気だけれど思いやりのある、優しい声を聞くことは出来ないんだと思うと、悲しみで胸が張り裂けるようでした。 私が自ら命を落とすことを決めたのは、悲しみに耐えきれなかったとか、娘の元に向かいたかったとか、そういう理由ではありません。 私は醜い女です。 娘が事故にあって死んだという知らせを聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。それからのことはよく覚えていませんが、とにかく泣き続けたことは覚えています。ひとしきり泣いた後、私は、私自身の苦しみで泣いていることに気が付きました。 つまりどういうことかというと、純粋に娘の死を悲しんでいたのではなく、娘の死によって私が苦しむことそれ自体が悲しかったのです。 私が娘の顔を見れないこと。私が娘の声を聞けないこと。私が娘を愛する気持ちが無為になること。 結局、どれだけ取り繕おうが私は亡くなった娘ではなく幼い娘に先立たれた自分のことしか考えられていなかったのです。あたかも自分が一番の被害者だといったような顔をして。 思えば私は、人生で一度たりとも人のことを考えたことがないのかもしれません。誰かに喜んでほしいのは、喜んでいるのを見ると私の気分が良くなるから。誰かを助けるのは、助けないと私の後味が悪いから。 自己中心的、といった言葉では表せませんが、それ以外に適した言葉もみつかりません。とにかく、私という生き物はおぞましい程に自己中心的だったことに気づいたのです。 娘の死を利用して、私の内面的な部分の本質にようやく気づいたのです。 この文章を書いている間も気持ちが悪くてたまりません。こんなにも醜くおぞましい人間が、誰よりも一番近くに居続けるのです。私が娘の死後間もなく後を追う理由を誰も知らないまま、あらぬ憐れみや慰めの言葉をかけられたくない。そう思い少しでも私という人間を美しく感じたい、そんな醜い私が私と重なって今ペンを走らせています。 もう耐えられません。 今から、私は私を殺します。 27年と3日、人間が人間たるものを無くしたまま人間のふりをして生きてきた一つの命を落とします。 私が死んだ後のことはきっとどうでもいいんだと思います。私には関係の無いことだから。 なら、この遺書を誰にも見られたくないのはどうしてでしょう。
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