Kとレム

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 ――――間違えたのか? いやそんなはずは……、確かにさっき叩き伏せたのはこいつだったはずだ。それにどうしてサイロにキャベツなんか置いておかなくちゃいけないんだ?――――  Kは考えるのが面倒になって、キャベツをその辺にほっぽりだして人の樹畑へ戻ることにした。眠い、とにかく眠ろう。あそこなら誰にも不審に思われたりしない。木を隠すには森の中、人を隠すには人の中とは、よくいったものだ。Kはサイロの横の井戸で手を洗い、とぼとぼと畑へ向かった。  畑にたどり着き、隠れ場所を探した。どの人の樹も皆、独特なポーズを取っている。女の木はたいていクラシックバレェのつま先立ちのような格好をしているし、男の木はまるでブロンズ像のように立ちつくしている。Kは品定めでもするかのように一本一本、人の樹を見て回った。自分が混じっても違和感がないような隙間を探していたのである。  ところが、Kはある一本の人の樹に出会った時、視線がはずせなくなって立ち止まってしまった。そこには、美しい女の樹があった。Kはその樹の前に立って、彼女を見つめた。もしもこの世に“美”という粒子があるならば、きっと彼女のまわりに光のように発散している目に見えない何かがそれに違いない。  Kが気づかないうちに流れ星が十六回、月の横を走った。月も、Kを見守るのに飽きて西に傾いてしまった。それでもKは、罠にかかった虜のように立ちつくして、彼女を見つめていた。  荷物でも下げているみたいに足の付け根のあたりで両手を組み、太股を軽く浮かせている。きれいな足だ。その足指だけが長くのびて地面に没している以外は、何もかも普通の人間の女だ。お椀のような胸の膨らみとツンととがった乳首。小首を傾げてほほえむような口元、形の良い鼻、そして長いまつげの伏せられた目。さらさらの黒髪が肩にかかって背中へ流れている。 「もし、あなたは……」  おそるおそる声をかけてみた。 「わたし……? 私はレムと申します。そういうあなたは」  口を動かさないままで、彼女はしゃべった。それにしてもなんていい声だ。少しトーンの高い、そして甘い甘いささやき。 「お、俺、いや僕は、K、Kと呼んでください」 「けい? けいですか?」 「そう、Kです」  Kは、彼女の瞳を見たいと思った。もし彼女の瞳で見つめられたら、魔法にかかって木になってしまうかもしれないとも思った。でもどうしても彼女の瞳を見たかった。 「あなたは、目を閉ざしたまま、いつもそうしておいでですか?」 「め? めというと……」 「目をご存じない。もし…… 触れてもよろしいですか?」 「私の、めにですか?」 「そうです、あなたの目に」 「かまいません、触れてください」  Kはおそるおそる手をさしのべ、そして右手の中指の腹で彼女の左目に触れてみた。 「あ、そこは……」  驚いてKは手を離した。 「痛いのでしょうか?」 「いえ、そうではなくて……」 「そうではなくて?」 「はい、なにか今不思議な感触でした」 「どのように?」 「あなたは、柔らかい。そして暖かい」 「人は皆柔らかくて暖かいのですよ」 「本当ですか?」 「本当です」 「あなたは人なのですか?」 「そうです、人です」 「人は動いたり、ましてや他の人に触れたりできるものではありません。あなたはうそをついていらっしゃいますか?」 「いえ、うそをついてはおりません」 「もうすぐ夜が明けます。そうしたら、あなたが目と呼んだ私のこれが、開きます。するとあなたの姿形が私にもわかります」 「おお、夜が明ければ目が開くのですね」 「目が開く、そう、目が開きます。朝になれば」  朝が来るというのは、なんて素敵なことなのだろうとKは思った。もう眠ろうとは考えていなかった。夜明けまで、彼女を見つめて過ごしたい。夜が明けてからも、彼女と一緒に。そして彼女に触れたり話をしたりしながら。  Kは、自分の居場所を彼女の隣に決めた。  ちょうど彼女の隣には盛り土のされた場所が一つ空いていた。 「ここにいてもいいでしょうか」 「はい、ぜひ」  Kは、その場所で人の樹の振りをすることにして、まず服を脱ぎにかかった。服を脱ごうと考えた時に、Kは自分の体の一部の変化に気づいた。勃起していたのだ。  ――――なぜだ、決して彼女をそんな風に見ていたわけじゃないのに、どうして体は反応しているんだ。――――  Kは、勃起するのがなにも性欲をもよおした時ばかりとは限らないことを知らなかった。女性を好きになり、その気持ちが高まっている時には、体は自然に反応するものなのだ。  このまま服を脱いで彼女の前に立っていると、夜明には彼女に全てを見られることになってしまう。Kは迷った。
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