【短編】天に背き夕闇、月を抱く

3/13
前へ
/13ページ
次へ
 このままここに縛りつけておけば、この女はどうなるのだろう。天人らは女を取り返しにくるだろうか。あるいは天帝の怒りに触れ、その身を夜露へと戻されるかもしれない。  天女は水の精だ。  男の指が止まる。いつのまに掌がじっとり汗ばんでいる。気を落ち着けるように、深く息を吸い、吐いた。  構うものか。天に帰せば、きっと三度目はない。  男のためらいを見てとったのか、女の方から男を呼んだ。 「……来て。わたくしの」  それは、前世のことのようにはるか遠く、懐かしい呼び名だった。はじめて出会ったときも、女はそんなふうに男を呼んだ。  あれから三十年だ。三十年のときが流れた。  視線を荒ら屋の外へと向ける。昼の獣の気配は沈み、夜の獣が目を覚ます。  とうに日は落ちた。もう引き返せない。  じっとりと身体に纏わりつく汗、重い闇。闇に浮かぶは、ぼうっと光る女の白。  そうしてその夜、男は天女を抱いた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

25人が本棚に入れています
本棚に追加