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三人の姉と弟
「僕、みんなに相談したいことがあるんだけど」
弟の突然の発言に、私たちは手を止め顔を上げた。弟の恵涛はミリペンを持った右手をぎゅっと握りしめている。本人はいたって深刻な顔なのだが、いかんせんもちっと膨らんだ頬は食いしん坊のリスのようで凛々しいというよりは愛らしい。製菓メーカーの開発部に勤める恵涛は、子供の頃からのぽっちゃり体型に加速がついて、毎年の健康診断が目下の悩みの種だ。
「それ今言うべきことかしら?ん?この状況が見えないのか?」
長女の角南が原稿から一切顔を上げず、むしろペンを持つ手を止めもせずに言った。その切り込み方と言ったら削りたての鉛筆よりもずっと鋭い。
いくつかの連載を抱える漫画家の角南にアシスタントが付かないのは、まさにそのせいだといえる。プロ意識の高い角南は自分に厳しく、仕事以外のことには結構ズボラのくせに漫画に関してはストイックなほどだ。そんな長姉は私の尊敬する三人のうちの一人なのだけれど、こと、漫画に関しては他人にも厳しいのでアシスタントが付いても続かない。だからこうして締め切り間近の姉を姉弟総出で手伝っているわけなのだけれど、身内と言っても、いや身内だからこそと言うべきか当然、容赦はない。
「た、確かに今言うべきじゃないかもしれないけど」
「じゃあ後にしろ」
「お姉ちゃん、聞いてあげて。恵涛が言うんだから、きっとよっぽどのことなのよ」
自宅にいるというのに、むしろ締め切り間近の追い込み中だというのに、艶やかな項から爪の先まで濡れたような美しさを放つ次女の知名見が、なだめるように言った。我が姉ながら隙のない美人である。
角南は、知名見の言葉にようやく顔を上げはしたけれど、舌打ち付きだ。恵涛が涙目だ。
「主語と述語を明確にして、その結果何があってどうしてほしいのか簡潔、明瞭に1分以内に述べるように」
「だから怖いって」
私が思わず口を出すと、角南がぎっと私を睨んだ。いつか目から光線的なものが出るのではないかと思っている。それでトーンが綺麗に切り出せたらいいのに。うん、便利。
「古奈美は黙りなさい。あんたが一番手が遅いんだから黙って黙々と懸命に身を賭してトーンを貼るの。切って貼って切って貼って、はいその繰り返し」
「切って貼って切って貼って」
「それで、どういう悩みなの?」
バイトから帰って疲れきっている私が今にも噛みつきそうなのを見計らうように、知名見は萎縮している弟に優しく水を向けた。その間もずっと手は動いたままで、うーんさすが、一流企業からヘッドハンティングされただけある。すんなりとしたモデル体型の彼女はこう見えて年上の男どももまとめ上げる豪腕の管理職である。私の尊敬する三人のうちの二人目。
知名見に促されてようやく恵涛は落ち着いたようで、ふうと息を吐いた。
「うん実はね、礼兎君にプロポーズしようと思ってるんだけど」
「は?」
私と角南が声を揃えて聞き返したものだから、恵涛はカメのように首を縮めた。こういう時に同じ反応をするのは私と角南だ。口から先に生まれたのは父譲り。そしていつでも冷静沈着な知名見は研究職だった母にそっくり。それならばおっとりと気の優しい恵涛がどちらに似たのかと聞かれると、そこは生命の神秘というやつだ。
ただのんびりしてるのに、一番突拍子もないことを言い出すのはこの末の弟かもしれない。 そんな弟が私の尊敬する三人のうちの最後の一人。
「あらまあ」
「いきなりだなおい」
「マジで?すごい!」
礼兎君というのは、プロポーズしようとしていることからも分かるように、恵涛の恋人である。そして礼兎君、という通り彼は男の子だ。付き合うときも私たち姉妹を巻き込んで色々あったのだけれど、その諸々はまあ別の機会に。
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