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planB
ロマンチックな程度に明かりを落とした室内はロウソクの火がぼんやりと辺りを映し出している。この明かりはきっと、男女の騙し合いにはちょうどいい演出になるのだろう。
そんな周囲の駆け引きとは裏腹に、一種、のんびりした空気のテーブルが1席。
「なんだか場違いな気がするね」
「すごく奮発したんだ」
「いつもは安い居酒屋さんばっかりだもんね」
そう言って、恵涛はぐるりとワイングラスを回した。
ジャズの生伴奏が流れる店内では、着飾った男女が顔を寄せてささめきあっている。ちょうど聞き取れない程度の間隔が開いていて、密やかな声はさざ波のように音楽の中に揺れていた。
「今日は、恵涛の企画が上手くいったお祝いもかねてるから」
「ほんっとに礼兎君のおかげです。ありがとうございました」
「せいぜい感謝してくれたまえ」
胸を張った礼兎君に、恵南が座ったまま深々と頭をさげる。それから顔を見合わせると、二人は楽しげに笑った。
「でも本当に、礼兎君のおかげだよ。市場調査をしなくても生の声をいつも聞いてる礼兎君のアドバイスはすごく的確だし」
ローカル情報を扱う月刊誌の担当をしている礼兎君の元には、毎日たくさんの情報が集まってくる。ニューオープンの雑貨屋さんや、老舗の食器店。それからたくさんの洋菓子や和菓子のお店などなど。読者からも寄せられる様々な情報を、礼兎君は日々彼自身の中に蓄積している。その彼からもたらされるアドバイスは、製菓メーカーの開発部に在籍する恵涛にとってはとても貴重なものだった。
「恵涛が頑張ったからだよ」
「確かに僕もすごく頑張ったけど、やっぱり礼兎君のサポートが大きかったし。初めてのプロジェクトリーダーだったからすごく緊張してたんだから」
「うん、すごくしてたね。でも結果的にはうまくいったじゃないか」
「うん」
そこで恵涛はフォークを動かして甘いケーキを口に運ぶ。緊張している時に甘いものを食べるのは恵涛の癖だった。両親も姉たちもどちらかといえばすらりとした体型だったから、こんなに太ったのは僕の緊張しいが原因だ、というのが恵涛の主張である。
「だからね」ともぐもぐとやりながら、恵涛は再び口を開く。
「でもそれは礼兎君のサポートのおかげなんだ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「そっか」
だとしたらすごく嬉しいな、と礼兎君は彼らしいトーンで笑った。それを見た恵涛はケーキを食べるフリをしてそっと下を向いた。一向に引かない熱を諦めて、やがて顔を上げる。
「だからね、僕が言いたいのは」
「うん?」
「だから」
そこで恵涛はさらに残ったケーキの大きな一欠片を一口に入れた。もぐもぐと小動物のやり方で咀嚼して嚥下する。それからワインをごくんとやってから、一連の動作をにこにこと見ていた礼兎君に向かって背筋を伸ばした。
「これからもずっと、僕をサポートして欲しい」
「それはもちろん。恵涛のためなら俺はいつでも力になるよ」
「うん。……それでね、それは仕事もそうだけど、その……私生活の方でも僕を支えて欲しいんだ」
「それは」
「それはだから、これからもずっと公私ともに僕のパートナーであって欲しいってこと」
なんだけど、と自信なさげに続けた恵涛は、せっかく伸ばした背筋を縮める。そしてポケットから小さな箱を取り出した。なんの変哲もないそれを胸の前で掲げて、ゆっくりと礼兎君の方に差し出すと蓋を開いた。
そこにはシンプルなシルバーリング。
「だめかな」
上目遣いに礼兎君を見上げると、彼はこのレストランの誰よりも幸せそうな顔で恵涛を見つめていた。
「交換条件なんだけど」
「な、なんでしょう」
恵涛の、箱を持っているふくふくとした手に自分の手を重ねる。二人の手が重なると、密かな手の震えが止まった。
「俺のことは、恵涛が支えてくれるんだよね?」
「もちろん!」
思いの外大きな声はよく通り、小気味好く動いていたウェイターや隣の席のきれいなドレスの女性が少しだけ二人の方を振り返った。けれど二人の様子を見ると、なるほどねと納得したかのようにそっと二人から目を逸らした。
「これからもよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」
そう言って二人で頭をさげてから、計ったように同じタイミングで顔を上げる。そして顔を見合わせると、今度は二人で本当に幸せそうに笑った。
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