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バドミントン部女子の場合
「あれは俺が告白されたことに端を発するんだが」
たっぷりと墨汁を吸った筆を半紙に滑らせて力強く、しかし繊細に書ききったのは「不条理」。美しい姿勢のまま、止めていた息を吐いて筆を置くと、珍しく怒った顔のマサムネは言った。向かい側にいたのは、弓道部の副主将らしからぬ崩した姿勢で胡座をかいた理である。
「女子のめんどくさいいざこざになんでお前が巻き込まれてたんだ」
「あの中心にいたのが俺に告白してきた女子だった」
「あんなことに巻き込まれそうな子じゃなかったから不思議だったんだよ。何があったんだ?」
たまたま部活が休みだった理が訪ねてきたのは書道部の部室。小さいながら畳が敷かれ床の間もあるこの和室は、かつて茶道部があった時の名残らしい。
ほとんどの生徒が存在さえ知らなかった、むしろ顧問の先生さえも自分が担当だと認識していなかったこの弱小部が全国大会にまで行くようになったのは、ひとえにマサムネが入部したおかげであった。
ちなみに本日はマサムネの貸切だ。あまり来られない部長のために他の部員が遠慮したのである。
「彼女に告白されたのが1週間前」
「お前は月一くらいで告られてんじゃねえの」
「その次の日には彼女の靴の中に泥が詰まっていたらしい」
「そりゃまた古典的な」
ご丁寧に爪先まできれいに詰まっていたらしいそれを見てはいないが、彼女の受けたショックは計り知れない。女子バドミントン部の中でもそれほど目立たない「自分が」というタイプではない彼女が、生徒会長となり名実ともに学校の王者となったマサムネに告白するために要した勇気はいかほどのものか。少なくとも昨日今日で決意したのでないだろうことは想像に難くない。
しかし一部の女子はそれが気に入らなかったらしい。さらに翌日、彼女のラケットはガットが無くなっていた。
「なんでそんなことをするのか意味が分からない」
「抜け駆け者には天罰が与えられる。さもなければ罰を与えよ」
「バカバカしい」
確かにそれは馬鹿らしい考えだが、一方で学校という場そのものが持つ特殊な性質でもある。そしてヒエラルキーは絶対なのである。
「その後、彼女のジャージは盗まれた挙句に捨てられていたそうだ」
そこでようやくマサムネの知るところとなる。陰湿なイジメを超えてもはや悪質ないやがらせに彼女が耐えられなくなったのだ。どうか自分を振ってくれと懇願されたマサムネの気持ちは困惑と怒りでいっぱいだった。
「で、それがさらにそいつらの気に障ったわけだ。チクリやがったと」
「そうだ」
全く人の気持ちというのは難しいものだ。彼女も決してチクったわけではなくマサムネが聞き出したのだ。
「振ってくれと言われて、しかもあんな顔をしている人間に理由を聞かずにいられるか?そしたら次の日には液体の入ったコンドームを投げつけられたそうだ。中身は水だったみたいだが」
「最低だな。それで今日のアレか」
「そうだ」
本日の全校集会での挨拶で唐突にイジメについて淡々と話し出した生徒会長から、何か恐ろしいものを感じ取った生徒は少なくないはずだ。男前の無表情は怖い。顔を青くしていた女子生徒が数名いたのは見間違いではないだろう。当人が教師に言うのを嫌がったというが、あれならば嫌がらせは止むだろう。
胡座に頬杖をついた理はニヤニヤしている。
「結局その子のことは振ったのか」
「……ああ」
「もしかしてその子のこと好きだった?」
「好きというほどじゃない」
「じゃあいいなとは思ったか」
それには無言を返した会長の背中を理は平手で打った。思わず前のめりになったマサムネが睨む。
「ま、お前と付き合うには相当メンタルが強くなけりゃいかんってことだな」
「何でだ」
「お前と付き合うってことは妬み嫉みを買いやすいってことだろ」
「そんなのはおかしい」
「もしくはお前と釣り合うだけの美人か、人望があるやつか」
マサムネ自身がそう望まれているように、彼の恋人になる人間もまた理想を望まれることになる。書道の大会で優秀な成績を収めた彼が新聞に顔写真を掲載された時、新聞社には彼についての問い合わせが殺到したほどの男前である。
「俺の意思は無視か」
「お前と一緒にいようと思うと苦労するだろうな。まあ俺は嫌がらせされたことなんかないけど」
「当たり前だ。お前ほど人に好かれるやつを知らない。それに」
新しい半紙を置いて文鎮を乗せながら筆に墨汁を染み込ませる。その形のまま理を見た。
「お前が嫌がらせされたとして、だからってそいつらに従って俺から離れることを選んだりしないだろ」
断定した口調に意表を突かれた副主将は一瞬、珍しく惚けた顔をしたあと、当たり前だと笑った。
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