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山崎マサムネという男
鬣のごとき鋼色の髪を、風が撫でていく。その風にすら嫉妬するような視線がじりじりと男を焦がした。もちろん本人はそんな視線もどこ吹く風、さっそうと廊下を歩いている。
長身に見合ったスラリとした足をゆったりと動かして歩くさまは威風堂々としていて王者のようだったが、実はその比喩は比喩でもなんでもなく男はこの学校の王者に等しい存在だった。
私立逢坂高校二年、山﨑マサムネ。この学校の生徒会長をつとめる彼は実に学業においては優秀なる成績を修め、また彼の所属する書道部においては全国大会でも賞をいただくほどの活躍を見せる。そしてその眉目秀麗なことは他の生徒はもちろん、教師までもが認めるところのものである。
彼に焦がれるものは男女問わず、しかしその孤高の雰囲気を漂わせる彼の前に思いを伝えるほどの猛者はなかなかいない。それでも時々勇気を出した誰かが彼に告白することもないわけではなかったが、いまだ彼が誰か一人を選んだという噂はとんと聞かない。一説には学業に専念する彼のストイックさを謳い、また一説には学外にそれは美しい恋人がいるという。
さて、そんな彼が廊下を歩いているのはもちろん暇だからではない。
「あー喉乾いた」
そう、喉が渇いたため売店に向かっているのである。しかしそのわずかに憂いを秘めたように眉を寄せる顔に、あまたの生徒がため息を漏らしていることを本人だけが知らない。自動販売機でジュースを買うと麗しの生徒会長はそこらのベンチに座って喉の渇きをいやした。
「おい、その顔をやめろ」
ふと遠くを見つめていたマサムネが意識を戻すと、ベンチの隣に袴姿の男が座った。
マサムネも体格はいいほうであったが、隣の男には負ける。高い上背と、広い肩幅。袴がよく似合うこの人物は草埜理、マサムネの友人である。
「その顔をやめろって何だ。ケンカ売ってんのか」
「お前が遠くを見つめるだけで人が卒倒するんだよ」
実際、彼の遠くを見つめる愁眉の横顔を見ていた生徒の一人がくらりと倒れ保健室へ連れていかれたことをマサムネは知らない。
「どうせ今日のドラマは何だったかなーとかそんなんだろ」
「もうすぐ最終回じゃないか」
「知るか」
この学校でマサムネにこのような態度をとれる者は数えるほどしかおらず、そのうちの一人が理だった。
彼は地区では常勝、全国大会において常連校の弓道部で優秀なる成績を収める副主将である。売店のすぐ近くに弓道場があり弓を放つ小気味よい音が聞こえていたが、どうやらマサムネの存在に気がついて休憩がてらやってきたものであるらしい。
「全く、生徒会長様においてはご自分の影響力をご配慮いただけるといいんですけどね」
「ベンチで休むのがそんなに悪いというのか」
「そうだ」
断言して理はスポーツドリンクを美味そうに喉に流し込む。かく言う副主将殿もなかなかの人物で、先ほどから後輩たちがきちんと頭を下げてから通り過ぎていく。いい加減そうに見えて一人一人に応えている律儀さが慕われている所以である。
「お前はこんなところでサボってていいのかよ」
「サボってるんじゃない休憩だ。休憩は大事なんだぞ。運動音痴のお前には分からんかもしれんが」
「俺は運動音痴じゃない」
不服そうに息を吐いたマサムネに、理が片方の眉を上げてみせる。
「お前、あの子に言われた言葉を忘れたのか」
「誰のことだ」
「一年の陸上部の子だよ。お前に告白してきたショートカットの」
「ああ……」
思い当たったらしいマサムネがこれ以上ないくらいに苦い顔をする。
「言われただろ『山﨑先輩がそんなに運動神経よくないと思いませんでした』ってさ」
「よく覚えてるな」
「記憶力はいい方だ」
そういうことはとっとと忘れてくれと苦い顔で飲んだのは、その顔に似合わないオレンジジュースだ。
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