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4
利香以外の全員が立っており、視線がこちらに集まっている。教壇には、担任の芳川が立っていた。
「おーい、相沢。き・り・つ」
わざと茶化すようにそう言うと、クラス中がくすくすと笑った。
それは明らかな嘲笑だった。
それに対して、利香は何も思わなかった。
むしろ、それが嘲笑の行動だとも思っていなかった。
興味がない。
どこまでも、果てしなく。
「すいません」
スケッチブックに鉛筆を挟んで閉じ、立ち上がる。目の前の男子が、何か言いたそうにこちらをチラリと見た。
視線を合わせるのを避けるように、芳川の方へ視線を向けると、芳川はまだ少し笑っていた。
何がおかしいのか、わからない。
鼻から息を吐くと、鼻で笑うような音が漏れた。
「礼」
日直の女子がそう言う。教室内が「おはようございます」という声で満たされる。けれど、それを言っているのは、運動部で徹底的に挨拶を仕込まれている生徒だけだった。文科系の部活に所属している連中は、その大きな挨拶に隠れるように蚊の鳴くような声を出していた。それ以外の人間は、頭を下げるだけにとどめていた。口だけは挨拶をしているという、無駄なことも添えて。
利香は、その時も自分のトーンで声を出した。
誰に引っ張られるでもない、自分の声で挨拶をした。
「はい、おはよう」
芳川の返事の直後に『着席』と言われると、ドヤドヤとなりながら席へと着いた。
「えー、取敢えず夏休みも終わりに近付いてるわけだが、特に何も無かったようでなによりだ」
何も無かった。
そういえば、自分の夏休みは何かあっただろうか。
芳川に向けている視線を少しずらして、黒板を見る。今まで視界の中心に居た邪魔者は、視界の隅で踊るピエロになった。
誰かが話している内容がつまらない場合、利香はよくこうやっていた。視線は前にあるままで、思考は自分の中の宇宙を飛んでいる。小学生の頃、上手いやり方を知らなくて、窓の外をぼんやりと見ていたら、その当時の担任に怒られた。
悪い癖だとは思っているが、自分の中で優先されるべきものが出来ると、無意識の内にやってしまう。
今は、展覧会の絵が自分の優先すべきことだった。
芳川の後ろにある黒板に、空想のチョークで睡蓮を描く。いくつもの線が同時に出てくるため、瞬時に描かれたそのラフスケッチを何個も頭の中で量産して、パズルのように組み替えていく。
先程の案である、大きな睡蓮を一つ置いてみることもしてみたが、なかなかしっくりこない。何が悪いのだろうか。
もしかしたら、角度かもしれない。
黒板の睡蓮を動かそうとしたその時、後ろの席にいる後藤真夏(ごとう まなつ)に背中を指で押された。
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