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第一章 種子
1
やがて、人が死を克服する日が必ず来る。
大学生の頃、なにかと議論を交わすことが好きなやつがそんなことを言っていた。何がきっかけでそんな規模の大きな話が始まったのか定かではないが、他者とは違う意識を持った自分自身に酔っているようで、とても聞けたものではなかった。
だがそんなくだらない話を、今年に入ってから頻繁に意識するようになった。それは別に学生時代を懐かしんで思い出したとか、その話をしていた人物に偶然遭遇したからといったような、ありきたりな出来事が引き金となったわけではない。
空想の海に沈み、現実の光を浴びることなどありえないはずの〈死の向こう側〉が、もはやフィクションや遠い未来の話ではなくなったからだ。
二〇四九年十二月、突如として世界中のあちこちで死亡を診断された人たちが、死後二時間以内に息を吹き返す事例が多数報告されるようになった。原因不明の蘇生に、新聞では「奇跡の生還、世界中で」といったような見出しが連日の一面を飾り、ニュースでも医学的な見地からの解説を専門家が求められていたが、彼らも口をそろえて「奇跡だ」と言った。
しかし、奇跡というのはそうそう頻発するものではないからこそ〈奇跡〉たり得るのである。もしも奇跡のような出来事が頻発したとしたら、それは奇跡などではなく、奇跡の皮を被った〈異常〉である。
この世は往々にして奇跡などは起こらず、悲劇ばかりが起こる。
当初、死の淵から帰還した人々は生きている人間と何も変わらないように見えた。海外映画に出てくるような、俗に言うゾンビとは違い、生きている人間のように言葉を話し、生前の記憶も保持したまま、出先から家に帰ってくるような感覚でこの世に戻ってきた。が、この一連の出来事は、そのままハッピーエンドでピリオドを迎えることはなかった。
死の淵から帰還した人々は、徐々におかしな行動を見せるようになったのだ。ある者は突然身の回りにある物を壁に投げつけるなどして破壊した。またある者は、生前は温和な性格であったにも関わらず、周囲の人間に暴力を振るうようになった。これはよみがえった者たちによる不審な行動の氷山の一角でしかない。彼らは強盗、殺人、強姦、窃盗、暴行など簡単に法を犯すようになった。生前の性格など関係なく、みな等しく地獄からの使者のように振る舞うようになったのだ。
そしてある日、これらの事例を紹介したニュースで、番組のゲストに呼ばれていた解説者がとんでもない一言を放ってから、この世は地獄と化した。
『おそらくよみがえった人々は、新しい命と引き換えに〈理性〉を失ったんですよ。でなけりゃこんな恐ろしいことが次々に起こるはずがない』――と。
このような見方が世界各国でも広まっていき、日本でも伝染病のようにこの見方が浸透していった。当然ながら、最初はこの見方を否定する動きもあったが、よみがえった者たちが理性を具備しているということを証明できるものはいなかった。
そんな中でも、よみがえった者たちによる犯罪は加速度的に増加していき、やがて死者擁護派がおとなしくなると、日本政府は一連の事件に対する声明を発表した。
(1) 日本国内における、よみがえった者たちによる犯罪行為の増加を受け、政府は今後彼らを生者に不吉なものをもたらす存在として〈忌み人〉と呼称することとする。
(2) 〈忌み人〉は生者ではなく死者として扱うこととするが、〈忌み人〉に対しての正当防衛以外の暴力行為は禁ずる。
(3) 〈忌み人〉は死者であるため法では裁かず、犯罪歴のない日本国民の中から無作為に抽選を行い、対〈忌み人〉の処刑隊を編成して対処する。処刑隊は常時GPSによって政府に監視され、刑の執行時は小型のカメラを起動し、処刑の一部始終を記録することを義務付ける。
※選ばれたものは処刑隊への参加を拒否することもでき、拒否した場合は空席となった人数分の再抽選が行われる。
(4) 処刑隊が〈忌み人〉以外に武力を行使した場合、目撃者はその問題行為を報告する義務がある。報告を怠った場合は、問題行為を行った処刑隊員と併せて刑法で裁かれる。なお、問題を起した隊員は除隊処分とする。
法治国家とは思えないような物騒な言葉の連続に、国民は戦々恐々としながらも、反論や批判はネット上だけにとどまり、この方針が覆されることはなかった。それどころか、これと似たような声明が欧米諸国でも発表されだした。
将来的に自分たちにとって近しい人たちや、自分自身すら死の淵から生還して〈忌み人〉となる可能性があるという危機には目を向けず、多数が〈忌み人〉による犯罪から現状を守るという、目の前にぶら下がる危機への対応を認めたのだ。
そんな狂った社会に身を置いていると、平和だった学生時代の下らない議論ごっこを思い出すのも、別にやぶさかではなかった。
やがて、人が死を克服する日が必ず来る。
こんな絵空事を言っていた彼は今の社会を見てどんな表情で、どんな言葉をこぼすのだろう。『ほら見ろ、人が死を克服したぞ』とほくそ笑むのか、あるいは『こんなものは正しい克服ではない』と苦虫を噛み潰したような表情をするのか。
少し興味が湧くが、正解を知りたいとは思わない。
どちらにせよ、もう会うこともないから考えるだけ時間の無駄か。今考えるべきは、他者の判断ではなく自分の判断だけなのだから。
薄暗い部屋の片隅で、久永律樹はベッドに腰かけながら考え事のすべてを頭の片隅に追いやって、脳内をクリーンにする。ここ半年のうちに起こった〈忌み人〉による異常事態も、大学の同期生が言っていた絵空事も、無理やり頭の中でかなぐり捨てる。
悠々と雲が流れ、窓から差し込む月明かりで、足元にある黒々とした細長い桐箱が照らされる。何も考えずに律樹がその箱を膝の上に置くと、現代においては滅多に聞くことができない刀の鍔鳴りが聞こえてくる。
おもむろに桐箱を開け、中に納められた刃渡り七十センチほどの日本刀を手に取る。鞘を払うと月光を反射して鋼の刀身が輝き、刃の根元にある竜胆の刻印が、その存在感を強める。
そんな刀身を眺めているうちに、律樹は猛烈な吐き気を催す。冴え冴えとした刃を鞘に納め、急いでトイレに駆け込む。血など付着したことがないはずの刀身から、血と脂の匂いがした気がした。
胃の内容物をすべて吐き出すと、水道で口を漱ぎ、再びベッドでうなだれる。
二〇五〇年五月、死の淵からの生還を果たした〈忌み人〉たちによる犯罪行為が始まって約半年。〈忌み人〉に対する声明が発表されてからは約三か月が経過した。そんな中、今なお犯罪行為が増え続けているにも関わらず、久永律樹は処刑隊に所属しながらも〈忌み人〉を手に掛けることができずにいた。
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