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4 (前)
A―3棟から出ると、碓氷麗乃は既に刀を袋にしまい、頬についた返り血をハンカチで拭き取りながら律樹を待っていた。なぜ待っていたのか分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。
「あの女性は落ち着きましたか」
ハンカチを丁寧に折りたたみながら、碓氷はいかにも興味なさそうに訊いてきた。律樹は背後に建つアパートを一瞥し、言葉をひねり出す。
「落ち着いたというか、話そうとしたけど取り付く島もなかった」
「そうですか。まぁ何を話しても、きっと私たちの行いは理解されませんよ。久永さんだって、いつも私を見るとき化け物でも見るような目をするじゃないですか」
「いや、そんなつもりは……」
「じゃあ無自覚なんですね。私だって女の子なのですから、傷つきますよ」
「――俺がそういう目をしていたのなら謝る。すまなかった」
「あら、冗談のつもりだったのに。本当に生真面目で、つまらない人」
返す言葉が見つからなくなったタイミングで、律樹はずっと気になっていたことを訊ねる。
「あの、一つ訊いてもいいか?」
「なんなりと」
「いつから刀で処刑するようになったんだ? あの日、女性は銃の使用を推奨されて、ひと月前まで碓氷さんも銃で処刑していたじゃないか」
碓氷は右手で握っている合口拵の日本刀を眺めながら答える。
「十日ほど前からですかね」
「どうして刀にしたんだ」
「久永さんには、私が処刑隊に入った理由を話していませんでしたね」
律樹は静かにうなずく。初めて会った時に、彼女は自身が処刑隊に入ることを決めた理由を話さなかった。まぁ、彼女の方はこちらの参加理由を知っていた訳だが。
「私には高校三年生になる妹がいました。我ながら妹とは仲が良く、妹は『お姉ちゃんと同じ大学に入りたい』なんて無邪気に言いながら、受験勉強を頑張っていました」
碓氷は静かに語り始めた。
「妹が、いた?」
「ええ、いたという表現が正確です。――私の妹は、今年のはじめに〈忌み人〉に乱暴されて殺されました」
妹が殺されたという衝撃の事実に思わず言葉を失う。今年のはじめということは、処刑隊による〈忌み人〉の処刑が解禁されるひと月くらい前か……。
ショックを受ける律樹には目もくれず、碓氷はまた語りはじめる。
「私の生まれ育った家は福岡にあるのですが、事件が起こったのは私が正月の帰省から東京に戻った日だったそうです。近所に潜伏していた〈忌み人〉によって、学習塾から帰る途中だった妹は強姦された挙句に殺されたようだ、と警察の方から聞いています」
「そんな……」
「事実です。――報道では〈忌み人〉を擁護する意見もありますけど、妹の事件については警察の方から聞いた状況なので、概ね〈忌み人〉の犯行で間違いないようです」
そこまで話すと、碓氷は一度自身の唇を噛み締め、今までの冷静さが嘘のように言葉に怒りを込めながら再び話しだした。
「そんな下劣なことができる〈忌み人〉が生きている人間と一緒? 日本の報道がいつからお笑い番組になったのかは知りませんけど、〈忌み人〉が人間と同じだなんて絶対にありえません。理性がないというのは獣と同じ。そしてそんな害獣を駆除するのは、私にとっての義務なのです」
じゃあ、もしかして……。碓氷が処刑隊に入った理由は……。
「察しがついたようですね。そう、私の動機は〈忌み人〉に対する復讐です。――あっ、『復讐なんてやめた方がいい』なんていう綺麗事は言わないでくださいね。元警察官であるあなたに、私を咎める権利なんてないのですから」
碓氷が普段のゆったりとした品のある口調を取り戻した。碓氷が処刑隊に入った理由は分かったが、武器を銃から刀に切り替えた理由を、まだ聞けていない。
「碓氷さんの復讐心はわかった。でも、それが刀を使用することとなんの関係が――」
そこまで口に出して、律樹はぞっとするような考えが頭に浮かぶ。脳裡をよぎったおぞましい想像を振り払うかのごとく首を振ると、碓氷がいびつな笑みを浮かべて律樹を眺める。
「へぇ……。絶対に分からないと思っていたのですが、意外と久永さんも〈こちら側〉の人間なのかもしれませんね」
感心したような声音で碓氷は言い、律樹が恐れていたことを口にする。
「私が刀に切り替えた理由。――それは銃などでは決して味わえない、この手で直接復讐相手の命脈を絶つ感覚を味わうためですよ」
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