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嫌だ嫌だと思っていても、あっという間に修学旅行の日はやってきた。
天気は快晴。憎らしいほどの旅行日和だ。
当日は東京駅の八重洲口に集合となっており、集合時間になれば各クラスの点呼がどこからともなく始まる。
そんな中、クラスから2名ずつ選抜される修学旅行委員の1人が困ったように声を上げた。
「せんせー、望月が来てないっす」
「まぁた望月かー、毎年こう言う奴がいるから集合時間は早めにしてるんだけどな...まあ間に合わなそうなら小澤先生に残ってもらうから。他は揃ってるんだよな?」
「そっすね」
...もういいだろ望月、置いてこうぜ。心労は少ない方がいい。
俺は非情なことを考えつつ、既に始まっている苦痛の2日間に項垂れた。
「ねぇねぇかなめくん、新幹線隣の席座ろーね!」
「え、...ああうん、そうだね」
外だといつもの調子で橘と話せないのも割としんどい。
周りを見れば既に女子グループで写真撮影をしていたり、行き先でやりたいことを楽しそうに話していたりとほとんどの生徒が浮き足立っているようだった。
「あ、そうだかなめくん!一旦新幹線でみんな落ち着いたら一緒にトイレのほういこ。ずっとみんなといると疲れちゃうだろうし」
小声でそんな気遣いをしてくれる橘に、また俺も小声で返す。
「いいって俺のことは、気にしなくて大丈夫だから。せっかくの修学旅行なんだし他の奴らとも話せよ。俺は適当に過ごすし」
そんな俺に橘は、俺は要くんと楽しく過ごせればそれでいいの〜といつものように緩く笑った。
...ほんと物好きだな。
それからすぐに、じゃあ移動するぞーという教師の掛け声があり、1クラスずつ移動を開始する。
結局望月は寝坊したらしく、数本後の新幹線で後から追って来ることになったらしい。
時間を守らないことで人様に迷惑を掛けるなど言語両断だし、後から望月と2人で来なきゃならない教師が哀れでならない。
それから人の流れに乗って新幹線に乗り込み、グループごとに指定されている席に腰を落ち着ける。
さっそく席を回して4人で対面に座るやつや、すぐに寝に入るやつ、キャッキャと騒ぐやつでみんな過ごし方は様々だ。
しばらくして新幹線が動き出せば、どこからともなくお菓子の交換会が各々始まるのが横目に見えた。
「ねぇねぇ高橋くん、橘くん、ポッキーどうぞ!」
後ろの席の女子から声を掛けられ、驚きつつもありがとうと言って受け取る。
そういやこの女子生徒達は毎回俺らが話すたびにこっちを見てキャッキャしてるクラスメイトだったなとふと思い出す。
「推しが尊い...」
「わかりみが深い...」
後ろの席から幾度となく聞こえてくる声に、どんな会話だよと思いながら外を眺めていれば、明るい声色で橘から名前を呼ばれた。
「かなめくんかなめくん」
「うん?」
「ポッキーゲームする〜?」
「は...、..っ...」
思わず、しねぇよあほかと言いそうになり寸でのところで堪える。
...もしかしなくとも、1番の敵は橘かもしれない。
とりあえず鞄から本を取り出して、それに意識を集中するようにして視線を落とした。
本を読むことは優等生の俺も素の俺も共通していることだ。こうしてるとあまり話しかけられることもないし、1番いい逃避方法だった。
...つーか橘この時期にカーディガン1枚羽織っただけかよ。今日だいぶ寒いだろ。
そんな衣服に心許なさを見せる橘はカーディガンを見てはにやけ、を繰り返しており今日も相変わらず変人だなと思う。
しばらくすれば車内販売のカートが通り、どこぞの野球部みたいな生徒がふざけて声を掛けては教師に咎められていた。
荷物にならないようにと薄めの本にしたのが仇となり、1時間もすれば本は読み終えてしまった。
あと1時間どうすっかな...
そしてやることもなくなり再び外の景色に目を向けていると、俺の膝あたりに何かが掛かる。
驚いて視線を戻してみれば、そこにあったのは今の今まで橘が着ていたカーディガンだった。
何?という視線を向ければ、橘はへらりと笑う。
真意が見えず一体なんなのかと考えていると、橘は膝の上にあるカーディガンにおもむろに手を忍ばせて、次の瞬間には優しく手を握られる。
...は、青春かよ。
「かなめくん〜」
名前を呼ばれ橘の方を見れば、やつは口パクで「すき」と伝えてきた。
なんか懐かしいな、すげぇ感慨深い。
「ねえねえ、これ思い出のカーディガンなんだよ〜」
「思い出?」
ただの黒いカーディガンにしか見えない。
これの一体どこに思い出とやらが詰まっているのだろうか。
「...実を言うとね、これ...かなめくんのなの」
「え?」
意味深なことを言われ、俺のカーディガンなのこれ?と記憶を辿る。
いや橘のいつもの冗談か...と流そうとしたところで、ふと思い当たることがある気がした。
たしか1年の冬休み前に、誰かに買ったばっかりのカーディガンをやった気がする。
そいつはすげー体調悪そうな癖にワイシャツ1枚で寒空の下で蹲っており、初対面のはずなのに俺の名前を呼んできてなんだこいつと思った記憶がある。
「あれ橘だったのかよ...」
つい素で反応してしまう。
「え、もしかして覚えてる!?」
俺の初恋の思い出っ!と浮き足立ってる橘に、完全に忘れてたわと少し後ろめたさを感じた。
つーか初恋の思い出って、あれからずっと俺のこと好きだったわけ?
予想以上に長い期間想われていた事実に、胸の奥が疼いた気がした。
いまだに隣でキャッキャしている橘に、無性に「おいで」と言いたくなってしまう衝動を必死に抑えた。
••••••
「降りたら点呼なー」
教師のその言葉に従い、生徒たちは新幹線を降りてすぐに点呼を開始する。
「2-D、望月以外揃ってます」
「よしじゃあさっそく宿向かうぞ」
予定ではここからバスに乗って宿に行き、そこで荷物を置いたら班ごとの自由行動だ。
今日は京都散策だと修学旅行のしおりには書いてあった。
宿で荷物を置き終え、いよいよ自由行動となる。
とりあえず班で集まれば、そのうちの1人が申し訳なさそうに手を合わせ俺に話しかけてくる。
「高橋くん高橋くん」
「どうしたの?」
「俺さ、こっちに彼女いるから今日は単独で行動したいんだけどいいかな!?」
ああ、なるほどね。別に集合時間までに戻ってくるんなら全然問題ない。
「うん、大丈夫だよ。17時までにはここ戻ってきてね」
そう伝えれば、ありがとう!と颯爽と去っていった。
それを見ていた橘は思い立ったように班の残る3人のメンバーに提案した。
「ねーねー、こっから単独にしない〜?俺らの班それぞれ仲良い別のグループで適当にくっついただけだしー」
随分ストレートに言うんだなと感心していると、まあそうだねそうしようかとトントン拍子に話が進んでいく。
そして解散場所に残された班のメンバーは俺と橘だけになった。
「かなめくん、自由だよ!!楽しもう〜!」
橘は嬉しそうな顔でそう言って、よくわからない方向に進み出す。
どこいくんだよと思いつつ着いていけば、伏見稲荷ってどうやって行くんだろうねと呟く。
「知ってて歩き出したんじゃねーのかよ」
思わずそう突っ込めば橘は、いつものかなめくんだー!と喜んでいた。
橘の思わぬ機転で俺の心は割と救われた。
「橘どっか行きたいとこある?」
「んーとね、伏見稲荷と金閣寺と銀閣寺と清水寺!あと生八橋食べたい〜!」
行きたいところいっぱいあるんだなと思いつつ、まあ京都に来たらそこは定番かと納得した。
集合時間の17時までにはまだまだ時間があるし、とりあえず伏見稲荷行くかと地図を調べる。
慣れない駅名から電車に乗り、目的地を目指す。
なんかこうしていると普通に橘と旅行に来たみたいだ。
伏見稲荷に着けば峯岸の班はちょうど帰るところで、お前らほんとにどんだけ仲良いんだよと笑われた。
つーかそんなさらっと見て帰るのか。
橘は伏見稲荷の上の方まで行きたい〜と言っていたが、親切なガイドの人が結構きついですよと忠告してくれすぐに諦めた様子だった。
千本鳥居をスマホで激写している橘を見て俺も気まぐれに、「千本鳥居を激写している橘」として写真を撮った。
あらかた見終えて、来た道を戻る。
「なんか甘いもの食べたいねー」
「たしかに」
調べてみれば近くに甘味処があったので、とりあえず立ち寄ることにした。
頼んだ白玉ぜんざいを食べようとすると橘から「待って!!!」と声がかかり、写真を撮られる。
そんな写真撮ってどうすんだよ
店を出てからは電車とバスを乗り継ぎ清水寺を目指す。
途中の土産屋で橘は生八橋をこれでもかというくらい試食していた。
荷物になるから後で買えよと言ったが、既に3箱ほど購入している。
そのあとも清水寺をぐるっと見て、橘と普通に観光を楽しんだ。
「なんか疲れたな」
「うん〜俺はかなめくん不足で今にも死にそうだよー」
慣れない土地を歩き回ったせいで、さほど時間も経っていないだろうに俺たちは疲れ果てていた。
「かなめくん、あそこ座ろ」
ちょうど大通りから少し外れて入り組んだ道を歩いていると、ベンチがいくつか置かれるのを見つけた。大人しくそこに腰を落ち着ける。
「橘さ、いくらなんでも八橋買いすぎじゃね?」
「だって美味しかったんだもん〜かなめくんにも後でお裾分けしてあげるねー!」
大通りの人通りの多さとは打って変わって、ここは人が全く来ない。
いつもの空き教室のように静かで、なんだか落ち着く。
ぼーっと空を見上げていると、橘に突然手を握られる。
「どした」
「かなめくんと旅行してるみたいで、俺すっごい嬉しい」
「あー、俺もそれさっき思ったわ」
「ほんとー!?嬉しいなあ〜」
そう言って顔を綻ばせる橘の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「俺さっきからすげー橘不足なんだけど」
「えっ」
「ほんと癪だよな」
「ちょっとかなめくん!照れ隠しにツンツンしなくていいの〜」
「今もおいでってめちゃくちゃ言いたい」
「どうしちゃったのかなめくん!今日は一段とデレが溢れてるよ〜」
俺の言葉を聞いてあわあわする橘が面白くて笑ってしまう。
「外にいるせいで橘が俺の方に来られないの知ってるからな」
「もー意地悪だな〜!そういうデレはかなめくんの部屋にいるときにしてよ、俺今すごい悶々としてるんだけどー」
いつものようにくだらないやりとりをして、意味もなくはあ...と息を吐く。
「修学旅行を楽しいって感じたのは、今回が初めてだわ」
「えーなにそれ嬉しい〜!」
「...全部橘のせいだな」
「えへへ、かなめくん!
そういうのは、”せい”じゃなくて”おかげ”って言うんだよ〜?」
「...そうなんだ知らなかった」
いつもの空気感に、気が抜ける。
「かなめくん、好きだよ」
「...なんだよいきなり」
「今は言葉だけでしか表現できないから〜」
橘の返答にちょっと納得してしまった自分が悔しい。
「そろそろ行くか」
そう言って手を引けば、橘もゆっくりと立ち上がる。
この距離でももっと近づきたいと思ってしまうのは、確実に橘のいつもの距離が近すぎるせいだろ、と心の中で思った。
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