4人が本棚に入れています
本棚に追加
第7回 ジェイコブス・ラダー
1990年・アメリカ映画
監督︰エイドリアン・ライン
脚本︰ブルース・ジョエル・ルービン
出演︰ティム・ロビンス/エリザベス・ペーニャ/マット・クレイブン/プルイット・テイラー・ヴィンス/ジェイソン・アレクサンダー/ヴィング・レイムス/ダニー・アイエロ 他
<STORY>
ベトナム戦争の帰還兵であるジェイコブは郵便局員として働きながらも戦争体験に未だに苛まれている日々を送っている。ある日、地下鉄内で奇妙なものを見るようになってからジェイコブの日常に異変が生じていく。
<感想>
あともう少しシナリオを頑張ったら大傑作になり得た惜しい映画です。エイドリアン・ラインが監督してなかったら凡作、下手したらビデオスルーされて後世まで語られる事も無かったんじゃないですかね。あと最近知ったんですがリメイクまでされてるそうで。リメイク版のポスター見たら明らかにオリジナルから趣旨が違ってる印象なんで観る気が全然しませんが(笑)
本作を観て思うのはベトナム戦争批判のドラマをやりたかったのか。それとも男が悪夢に苦しむホラーをやりたかったのか。作り手の中でどちらをやりたかったのかが明確に伝わってこないという事です。もしかすると両方やりたかったのかもしれません。しかし、両方手を出した事によって焦点の定まらない作品になってると思います。
悪夢世界を彷徨う男の話なんだから焦点が定まらない感じが正解なんだ、と言われたら納得するんですが(笑)それならそれでベトナム戦争という設定でなくても良かったと思うんです。何らかの事件か事故をトラウマとして生きている男という設定でも良かった。何故、わざわざ主人公をベトナム戦争からの帰還兵という設定にしたのか。
作り手の中で『単なるホラー映画にしたくない』という意図があったのかもしれない。ベトナム戦争は今もなお映画の題材にされる程、社会性のある問題なのでそれを取り入れて作品の質を上げようと欲張った。そういう流れがあったんじゃないかなーと勘繰ってしまいます。好きな人には悪いけどこの映画にはベトナム戦争を真剣に批判しようと言う姿勢は伺えませんでしたね。
かと言ってホラー映画として優れているかというとそうでもない。映像的には怖いですよ。のっぺらぼうみたいな風貌のクリーチャーが唐突に出てきますが、多分昨今のホラーゲームに結構影響を与えてるんじゃないですか。ただ、意味不明過ぎて心理的には全然怖くないです。
露出の仕方としては正しいでしょう。ああいう化物は長く画面に出てると段々陳腐に見えるんですが一瞬だけ出して直ぐに退場させれば「あれは何だろう」という怖さが出る。けど、それを何回もやってると「そろそろ正体を明かして欲しい」ってなるんですよね。結局、化物の正体とか意味は最後の最後まで分からないのでそれが怖さの半減に繋がりました。
エイドリアン・ラインは『フラッシュダンス』『ナインハーフ』『危険な情事』といった作品で名前が売れました。いずれも内容より映像センスが良いところが評価されてる節があります。が、ホラー映画を演出した経験が無いので、意味の分からない事をひたすら繰り返す演出に終始している。優れたホラーは最初は意味不明でも最後にはちゃんとそれに対する答えを作り手が提示するんですよ。それが本作では出来てなかった。だから、ホラー映画としては中途半端なんですね。
ただ、そこは映像センスが抜群に優れているライン監督ですから素晴らしい場面もあります。特に冒頭の地下鉄の場面は秀逸。最初にティム・ロビンスが話しかけるおばさんの無言の迫力、座席に横たわってる浮浪者然とした男の不気味さ。無人の駅構内で途方に暮れるティム・ロビンスをロングショットで捉えるカメラワークも見事です。逆に言えば強く印象に残ったのが地下鉄の場面でそこが終わるとガクッとパワーダウンしてしまうのが残念なところ。
※ここから先は結末に触れます。未見の方によってはネタバレになるのでご注意ください※
本作はベトナム戦争の後遺症に悩まされる男の話と思わせておいて、実はベトナム戦争が現在進行形であり、現実だと思っていた出来事は深手を負った主人公が息絶えるまでに見た夢だったという意外性を狙っています。ですが、ストーリー展開で積み重ねが上手く出来ておらず、ラストで意外性が引き出せていない。
一番最初に「1971年10月6日 メコン川デルタ地帯」と字幕が出ますよね。これは完全にミス。わざわざこれが現実ですよ、って宣言してる様なもの。本作は現実と悪夢の区別が分からなくなる怖さが肝なんだから、どっちが現実なのかを提示するべきではなかった。しかも戦争シーンを直ぐに終わらせて地下鉄で寝ている主人公の場面に転換する。「1971年」と字幕を出しておきながら直ぐに時代が経過するという意味不明な流れになってしまってます。だったら字幕は出さない方が良い。
そして、もう1つ気になってしまう問題点。これが全て主人公の夢ならば主人公の視点に絞っての夢の描写をしなくてはならない。のですが、明らかに主人公がその場にいない出来事まで描写してしまってる。主人公の目の行き届かないところにいる人物のやり取りはあのラストから逆算したらおかしいとしか言い様が無いのです。
今カノ(エリザベス・ペーニャ)が主人公と前の奥さんとの写真を焼却炉に捨てる場面が一番分かり易いですかね。あそこは明らかに主人公がその場にいないし、統一性の無い場面だと思います。
おかしいのはここだけではない。前の奥さんが子供二人連れて主人公のお見舞いに来る場面や整体師(ダニー・アイエロ)が入院中の主人公を無理やり車椅子に座らせる中盤の場面。主人公の部屋に入る前に主人公以外の人物同士のやり取りがあるので、どう見ても主人公の目の行き届かないところでのやり取りになっていておかしい。
主人公の一人称視点でいくべきストーリーに第三者の目線が入っているので、「全ては夢だった」という種明かしに説得力が感じられないですよね。この部分の手直しをするだけでもだいぶ違います。
中途半端とか意味不明とか色々言いましたが、それでもラストのくだりで泣かせる辺りは流石ライン監督。先に亡くなった息子の手引きで主人公が昇天する場面は素晴らしかったです。だからこそシナリオの弱さを見直す徹底さが甘かったのは惜しまれますね。
★★★☆☆(3点)
最初のコメントを投稿しよう!