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 一子相伝の技や奥義といっても、おそらく世の中にはいろいろなタイプがあるのだろう。わが蒲原家のように、それが一体何かということさえ表に出してはならないとは限らない。だが、俺が受け継いだそれは、その性質上、何に関わるものであるかをも含めて、家族にも隠し、決して明かしてはいけないのだ。受け継いだものは究極の選択をしなければならない。おそらく戦国時代のころに端を発すると思われる奥義なのだ。  究極の選択といっても、俺はその選択は即座に決めていた。だから、受け継いだことによる緊張感は常にあったものの、そのことが俺の精神を極度に圧迫することはなかった。しかし、親父の死後、あの蔵の鍵が見つからないことが、次第次第に俺を悩ませ始めたのだ。俺は、受け継いだものとして、それを次代にさらに引き継いでいく義務がある。具体的には、自分の子にそれを伝えるのだ。それなのに、そのために必要不可欠のあの鍵がない。死んだ親父になんといえばいいのか。  そして、そのことと同時に、親父がを使ったのではないかという疑念、成長するとともに自然と俺の中で確信となったそれ。それは真実なのか、そして真実だとしたらなぜなのか、いつかは親父に問い質そうと思いながら、ついにかなわなかった。そのことも俺の心を次第に重くしていたのだった。  
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