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《21517年 ジャンク1》
人間っていうのは、時間さえかければどんな環境にも適応する。アフリカで誕生した人類が地球のあちこちに散らばるうちに、肌の色や髪の色が違ってきたように。
ましてや、ここは地球ではない。
超重力の星。土星。
ジャンクたちの先祖はその昔、月に暮らしていたという。
今でこそ月は地球とならぶ二大都市だが、人類が地球から逃げだして移民したばかりのころは、わずかな基地が点在するだけのいちめんの岩の星だった。水も大気もない。食糧もない。すべてを自分たちの手で作りださなければならない。
それでも、地球に残されることは、当時、確実な死を意味していた。
ジャンクたちの先祖は月への脱出船に乗りこんだ。開拓民として働く条件で、健康な若い男女だけがロケットへの乗船をゆるされた。
待っていたのは苛酷というにも苛酷すぎる日々。
飢餓や無酸素症、宇宙線による被曝。
その上、拷問にも等しい重労働。
仲間は次々と死んでいった。
しかし、政府の人間はそのぶんをクローンの再生でまかなった。日に百人が死んでも、二百人のクローンが培養され、補充された。
とにかく自転車操業だ。
政府高官だけが死ななければいいのだ。彼らがブレーンだから。市民が何万、何十万人死のうが関係ない。彼らさえ生き続けていれば。
死体はいつのまにかモルグから消えていた。たぶん、初期の開拓民の食糧は、死んだ仲間だったのだろう。
これは、長老の自論だ。
きっとそうなんだろうなと、ジャンクも思う。ジャンクたちの先祖も、土星に来た当初はそうだったというから。
でも、ジャンクたちの先祖が月から逃げたのは、開拓の厳しい生活から逃亡するためじゃない。
開拓民たちの多くの犠牲により、月は人の住める星になった。テラフォーミングというやつだ。水。酸素。大気をとどめるための重力装置や、気候調整装置。森。海。畑。住居。
月は発展した。
だが、そこで月の政府は開拓民を裏切った。まったく、どこまでも卑劣な外道だ。それまで牛馬のように酷使してきた開拓民を、もはや必要なくなったとみなし、古い地下区域に閉じこめたのだ。
選ばれた人たちだけが地上都市に移り住んだ。人間の住みわけが始まった。これが身分の格差を固定化した。
家畜のようにあつかわれても、いつかは豊かな都市で、わが子や自分のクローンが暮らせるようになる。今はそのための忍耐のときだ。
そう信じて働いていた開拓民の夢はやぶれた。けっきょく、人として認められることなく、地の底に埋めたてられ、忘れさられた。
開拓民たちは表面上、月には存在しないものになった。高官の考えでは、きっとすぐに死に絶えると思ったのだろう。
ところがだ。政府高官は肝心なことを忘れていた。自分たちの酷使していたのが、ただの牛馬ではなく、開拓のプロだということを。
開拓民は水道管や電線に細工した。酸素も地上から拝借した。鉄や貴金属を掘った。生きるために必要なものは、なんでも手に入れた。地上の人々が、すっかり存在を忘れてしまうまで、何代にも渡って生き続けた。
さて、都市が栄えれば、犯罪も急増する。地上の犯罪者たちのあいだに、いつしか地下の旧地区の存在が知られるようになった。犯罪者にとって、そこはかっこうの逃げ場所だった。
多くの犯罪者が地下にやってきた。地下は物騒な世界になった。
それで起こるべくして大事故が起きた。テロだったんじゃないかと思う。都市のどまんなかがガッポリ崩落した。地上の人々の大勢が死亡した。
それ以上に、巨大な穴はある事実を地上の人々に知らしめた。自分たちの足元に、遥か昔、すてられた忘れられた民がいることを。
ふつうなら、そこで激しい衝突が起こるところだ。そうでなければ、地上人による弾圧。
そうならなかったのは、直後にエスパーの反乱が起きたからだ。月のトップが代わった。残忍な独裁政権が倒れ、とつじょ人道主義のエスパーのリーダーが実権をにぎった。
オシリスだ。
地下都市は崩落の危険があり、埋めたてなければならない。ついては、あなたがたを市民として地上に迎えるとの申し出があった。ほとんどの地下民は快く受け入れた。その人たちの子孫は、きっと今でも月で平和に暮らしていると思う。
だが、一部の地下民はオシリスの申し出を断り、頑強に抵抗した。そう。犯罪者たちだ。リーダーが代わったって、自分たちが人を殺した罪が消えるわけじゃない。
犯罪者はオシリスの月政府と徹底抗戦した。多くは捕まり、刑を受けた。
しかし、なかには宇宙船をかっぱらって、月から逃亡した者もあった。火星や人工星セレス、各地のスペースコロニーなど、いたるところで犯罪をしながら転々とした。あげくに、宇宙海賊をきどっているうちに、宇宙船の事故で、土星におっこちた。
残念ながら……まことに残念ながら、これがジャンクたちの先祖だ。
おろかな犯罪者を先祖に持ったばっかりに、子孫がどれほど長い歳月を、この悪夢の星で重力の底に這いずることとなったか……。
まあ、ぶあついガスの中心に岩盤の核があったから、どうにか生きることだけはできた。
先祖には月を開拓した人々から与えられた技があった。
ふたたび、テラフォーミング。
月を開拓するより、さらに厳しい条件で、ジャンクたちの先祖は地下都市を築いた。いや、都市と呼べるしろものではない。ただの巨大なアリの巣穴だ。
ジャンクたちは先祖の作った巣穴を広げながら、増えたり減ったりをくりかえしてきた。
超重力のなかだから、体は小さい。星を包むガス雲のせいで太陽の光も届かない。おかげで視力もほとんどきかなくなった。
たぶん、この星に落ちてきたドジな先祖と、今のジャンクたちは似ても似つかないだろう。
このままジャンクたちは忘れられた民として、最後の一人が死に絶えるまで、ほそぼそと生きつないでいくのだろう。
そうジャンクは思っていた。
ジャンクは十八歳。
仲間は五十人ほど。
この調子なら、ジャンクが最後の一人になる可能性はなさそうだ。最後の一人でさえなければいいのだ。きっと、耐えがたい孤独だろうから。
自分の種が絶えたと知りながら、一人、生き続けるのは。
仲間がいるうちに死ぬこと——
それがジャンクのたった一つの願い。
ささやかだけど、切実な願い。
もちろん、この巨大な重力地獄の星からぬけだして、外の世界をながめることができるなら、夢のようだ。
でも、そんなことが起こるわけがない。先祖の乗ってきた船は故障したまま、とっくに動かない。ジャンクたちが逃げだすすべはない。
ところが、奇跡は起こった。
あるとき、空から宇宙船がやってきた。
今度の人は落っこちたのではない。ちゃんと自分の意思で来て、着陸した。先祖の船にくらべたら、ずいぶん小さい。
なかから二人の人が出てきた。巨人だ。細長いのと、それよりさらに大きいのだ。頭のさきから爪先まで、全身、真っ白。最初は化け物かと思った。
「うわあッ、雷牙! いるよ。ほんとにいる! 可愛い。小さい。コロポックルだ!」
「蓮。おびえさせてるみたいだ。わめかないほうが……」
「あっ、そうか。やつらには、おれでさえ巨人なんだな。ノラ猫を手なずける方法か」
細長いほうが、しゃがみこんだ。岩陰に隠れるジャンクたちのほうへ手を伸ばしてくる。チッチッと舌打ちするのはなんのつもりだろう。
「……雷牙。よってこないよ」
「そりゃ相手は人間だから。猫じゃない」
「だよな」
あはは、と笑いだし、細長い人は手招きした。
「おいで。友達になろう。二万年前に落ちた船の伝説を聞いて調べに来たんだ。おれは蓮。こっちは友達の雷牙。地球人だよ」
ジャンクが近づこうとすると、長老がとどめた。
「行ってはならん。ジャンク。地球は恐ろしい病によって滅びた。その者は嘘をついておる」
すると、レンという細長い人が、またもや狂喜した。
「うわあっ。しゃべった。イルカの鳴き声だ。むちゃくちゃカワイイよ。抱きしめたい」
「蓮。イルカじゃない。ちゃんと英語しゃべってる」
「訛り、キツイけどね。でも、会話は通じるってことだ」
細長い巨人は自分の頭に両手をかけた。髪も鼻も口もない、つるんとした頭。目だけは顔の半分を占めている。
ほんとに人間だろうかと思っていたら、どうやったんだろう?
細長いのが手をかけたとたん、パクリと頭の皮が背中のほうへ落ちた。
ジャンクは岩陰まで逃げこんだ。
やっぱり化け物だ。
頭の皮があんなに簡単にむけるなんて。
「ああ、ごめん。ごめん。ビックリさせた? ただの宇宙服だよ。この岩場には薄いけど大気があるみたいだから、ヘルメットを外したんだ」
宇宙服——なんだ。そうだったのか。
先祖たちが宇宙船で海賊をしてたころにくらべて、なんてスマートでシンプルになったことだろう。
ジャンクたちが重力の底に取り残されているあいだに、外の世界ではものすごい進化があったらしい。
月や火星。それに、地球でも?
「地球人……」
「そうだよ。あのパンデミックで地球の多くの人は死んだ。けど、おれたちは生き残った。だから、怖くないよ」
ジャンクは岩陰から顔を出して、のぞいてみた。視力はよくないが、まったく見えないわけではない。ことに今は巨人たちの宇宙船が、こうこうと輝いている。
まぶしい光のもと、細長いのが両手をこっちに伸ばしてくる。笑う顔を見て、ジャンクは仰天した。
違う。やっぱり、これは人間じゃない。断じて、ただの人間であるわけがない。
これは神だ。あるいは、天使。
でなければ、これほどの美貌が存在するわけがない。
すると、大きいのが嬉しそうな声を出した。
「おお……さすが、蓮。おまえの顔は、ここでも通用するんだ」
「みたいだね。やっぱり、もとが同じ地球人だから、審美眼は同じなんだ。これで信用してもらえたかな? みんな、おれたちといっしょに地球へ行こう。君たちのサイズなら、全員乗せても、ゆとりがある」
神は降臨した。
ジャンクたちは、ぞろぞろと宇宙船に乗りこんだ。
こうして、ジャンクたちの憂悶のときは、とうとつに終わりを告げた。
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