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《西暦21517年 蘭1》
猟奇的に殺してくれた変質者のせいで、蘭はPTSDをわずらってしまった。
人生二度めの屈辱だ。
一度めはパンデミック前。硫酸女に襲われたあと。
あのときは治療に数ヶ月かかった。それでも信じられない回復力だと医者は言ったが。
今回は記憶を封じてもらうと、すぐに改善された。
治療してくれたのは、月生まれのエスパー、タクミだ。
タクミは遺伝子操作された薫のクローンだ。薫の記憶こそ持っていないが、顔はそっくり。
ただし、いろいろと薫より優秀だ。それがちょっと、蘭には物足りない。
タクミはセラピストとしても有能だ。
「これで心配ないですよ。襲われていたあいだの記憶は、ニューロンつながらないようにしときましたから。ね? もう苦しくないでしょ?」
「ええ。いいみたい」
誰かに見られているような気がして身がすくむことはなくなった。脈絡もなく刃物で突き刺される痛みがよみがえることも……。
「ほんとは、忘れないほうがいいんだけどね。蛭子はあの苦痛に数えきれないほど耐えたんだ。彼を理解するために、僕も同じ痛みを知ってるほうが……」
ニコニコ笑いながら、タクミは言う。
「それは違いますよ。蘭さんが精神的に安定してるほうが、御子だって居心地いいんだから。蘭さんが幸せなことが、御子の幸せでもあるんじゃないかな」
その言葉で、蘭は目が覚めた。
幼児アニメのプリントシャツを着て無邪気に笑うさまは、とても医者には見えないが、さすがは天然いやし系男子。薫のクローンだ。
「……なんでだろう。タクミさんにそう言われると、安心するなぁ。僕が自分の弱さから逃げだしたわけじゃないんだって思える」
「蘭さんは強いですよ。並みの人では、あの決心はできない。さてと、じゃあ、ユーベル入れてもいいですか? 僕が蘭さんと二人きりになると心配するんですよ。僕と蘭さんのあいだで何があるっていうんだか」
タクミは笑って診察室のドアをあけた。廊下にはタクミの恋人のユーベルと、それに猛が立っている。
この二人がならぶと、まるでお通夜だ。家族の緊急手術を見守りながら、ひと足早く覚悟を決めたみたいな顔で、終始無言。ふだん猛はムダ口きかないし、ユーベルはタクミ以外の人間とは年に数回しかしゃべらない。
フランス人形みたいな美少女を前にして、「ユーベルちゃん。このごろ、タクミとはどうなの?」とか言わないところが、猛らしい。
「らくになったみたいだな。蘭。じゃあ、帰るか」
「ええ」
猛と歩きだそうとしたときだ。めずらしく、ユーベルが口をひらいた。年数回のうちの一度が今日だったらしい。
「カトレアが帰ってくる」
一同は口をつぐんだ。
カトレアは蘭の三体のクローンのうちの一人だ。胡蝶、春蘭、カトレア。胡蝶はすでに死亡し、残るは春蘭とカトレアだが、二人は蘭に対して重大な不敬を働いた。罰として、春蘭は御子さま御殿に軟禁している。カトレアは追放だ。
「二度と僕の前に姿を現わすな」と言って追いだしたのに、今さらなんのつもりで帰ってくるのだろう?
蘭がカトレアを追放したのは温情だ。
カトレアには雷牙という友人がいる。以前からたびたび研究所をぬけだして、その友人と気ままな旅に出ていた。
だから、蘭が国外退去を命じたとき、ふっきれたようにカトレアは笑った。
「わかった。おれは、どっかでのたれ死ぬよ。ただ、おれが死んだあとも、雷牙のクローンは家族のもとで再生してやってほしい。あいつは、おれたちがしたことには、なんの関係もない。あと、もう一つ。春蘭をどうするんだ?」
「それはこっちで考える」
「……春蘭は、あんたを嫌ってるんじゃないよ、蘭。むしろ、あんたに憧れてるから、あんなことを——」
「首謀者はおまえだろ。心配しなくても処刑まではしない。とっとと出ていけ」
そう申し渡してやったのだが?
しかし、ユーベルは宇宙でたった二人しかいないトリプルAランクのエンパシストだ。ユーベルがエンパシーで感知したことに間違いなどあるはずがない。
数日後。ユーベルの言葉どおり、カトレアは帰ってきた。本人は蓮と自称している。
まず地球の大気圏に入る前に連絡があった。
「一度だけ、あんたのもとへ帰ることをゆるしてほしい。これはスゴイ発見なんだ。もしかしたら、あんたと同じ不老不死の人間を人工的に造りだせるかもしれない」
そう言われれば、断れるはずもない。
不老不死。それは蘭を縛る病だ。
蘭の骨髄移植や輸血などで、親しい者たちを不老長寿にすることはできる。だが、長寿と言ったって三百年ほどだ。
だから、猛や水魚たちは、蘭を一人にしないために、記憶を複写しながら、幾体ものクローンの体で生きてきた。記憶複写をするのはユーベルだ。
そんな不自然な形で命をつないでも、どこかに歪みが生じる。この前、蘭が殺されたことだって、記憶複写の弱点をつかれたせいだ。
もしも、猛や水魚を蘭と同じ不死にしてしまえるなら、それに勝る解決法はない。蘭が孤独の影におびえることは、二度となくなる。
蘭はカトレアの帰還をゆるした。地球の衛星軌道上のコロニーの一つに入国を許可した。
蘭のほうが六人乗りの反重力ボートで、そこへ出向いた。蘭と猛。二人のガード。それに、タクミとユーベル。
蘭は人工の衛星コロニーを訪れるのは初めてだ。自分が二十代だったころの宇宙基地みたいなのを想像していた。
行ってみると、まったく違っていた。
美しい植物園のような内装。いや、海底に沈んだガーデン? ホログラフィーと実物で、うまく景色が構築されている。
海鳴りのコロニー。
「ここ、テーマパークですか? 天井を魚が泳いでるんですけど」
「最近の流行りなんだよ。自然回帰趣味」
「自然界では海底にバラ園はない」
猛は苦笑した。
「蘭。せっかく二万年後にタイムトリップしたんだ。落ちついたら、あちこち視察に行こう。国民も喜ぶよ」
蘭は浦島太郎の気分で、猛のあとについていった。
ガーデンのあずまやのベンチから、カトレアが立ちあがった。ひとめ見て、絶句する。追いだしたのは、ひと月前だ。なのに髪が青い。瞳の色がピンクなのは、カラーコンタクトだと思いたい。
「カトレア……」
「蓮だよ。何度も言ってるだろ」
「そんなことより、その髪と目は……」
「月でやってもらったんだ。今またクラシカルカラーのブルーが流行りだから。どう? 似合う?」
似合うとか似合わないとかではなく、自分と同じ顔の変身ぶりが衝撃だ。ついこの前まで、鏡に映したみたいにそっくりだったくせに。
まさか、遺伝子をいじったのだろうか? これではもう自分の分身に見えない……と考えて、蘭は気づいた。
自分と同じ遺伝子を持つクローンに、蘭はなんとなく同族嫌悪みたいな思いをいだいていた。そのくせ、心の底ではある種の執着を持っていたのだと。
自分の手足だと信じていたものが切断されて、一人歩きして去っていくのを見送るような、さみしさを感じた。
「まあ、いいよ。たしかに僕との差別化ははかれる」と、口では言っておいたが。
(もしかして僕は、『二度と帰ってくるな』なんて言っときながら、待ってたんだろうか? 『もう悪いことしないから、あんたのそばにいさせて』と、こいつが涙ながらに訴えてくるのを? どうせいつかはそうなると、たかをくくってたのか)
でも、わかる。
カトレアは蘭の分身だから。
泣いて謝罪なんてしない。
きっとほんとに宇宙のどこかでのたれ死にするつもりだ。自由を謳歌しながら、やがては自分が蘭の分身だったことも忘れて……。
蘭は唇をかんだ。
すると、猛が蘭の肩をたたく。
そうだ。ほかの誰が去っても、蘭には猛がいる。猛がいるかぎり、蘭はひとりぼっちじゃない。
「ところで、肝心の土星人っていうのは?」と、猛はカトレアの背後の少年を指さす。
「彼のことじゃないだろ?」
少年だが、もうカトレアより背が高い。
出ていく前にカトレアが誰かをクローン再生していったから、例のもと疫神とかいう友人だろう。思っていたよりハンサムだ。もちろん、猛ほどではないが。
「吾妻雷人です。ほ、本日は御子さまに、ご……ご拝謁たまわり、まことに……こ、光栄に……」
しどももどろで赤くなっている。かなりシャイらしい。
「かまいませんよ。あなたはカトレアの友人だから、かたくるしいのはぬきにしましょう」
御子らしい笑顔で手をにぎってやる。
ますます赤くなってすくんでいる雷人に、カトレアが本気のケリを入れた。
「何、見とれてるんだよ?」
「ご、ごめん……」
「浮気したら、ゆるさないからな」
えッ? 浮気——まさか、そんな仲なのか?
たずねてみたい。が、あっけなく『そうだよ』と肯定されそうで、コワイ。聞けなかった。
まったく、コイツといい、春蘭といい、蘭のクローンたちはどうなっているのだろう。
カトレアがイラついた口調で言う。
「こいつのことはいいんだ。ただのおれの相棒だから。あんたたちが会いたいのは、あっち」
あっちと言われても、バラと魚しか見えない。
「今までセレスまでは行ったことがあったんだけど、今度はどうせならもっと遠くまで行ってみたくて。それで、土星の衛星コロニーに行ったんだ。そしたら、御子暦開始直前くらいのころに、土星に落ちた海賊の伝説があってさ。今でも、たまにエスパーが、あそこに何かいるって言うらしいんだ。
調べてみたら、ほんとに海賊の子孫がいたってわけ。おもしろいのは、彼らの体質だよ。彼らは水と泥だけ飲食してれば生きていける。手足がちぎれても、また生えてくる。不死でこそないが、個体がものすごく長寿だ。たぶん、ES細胞を体内で作ってるんじゃないかと思う。ほかにも御子と似たところがあって。あんたたち調べてみたほうがいいよ。もしかしたら、蛭子の不死の謎が解けるんじゃない?」
もしそうなら、大発見だ。
猛がにぎりこぶしを口元にあてて、つぶやく。
「木星や土星はガス状惑星だ。環境がひどすぎて、テラフォーミングしにくいんで、ずっとほったらかしだったんだが。劣悪な星に二万年も置かれたことで、独自の進化をとげたのかもな」
タクミも興奮を抑えきれないようだ。
「スゴイ! 早く研究所につれ帰って、菊子さんたちに調べてもらいましょうよ」
「だけど、どこにいるんだ? 土星人」
キョロキョロする猛がおかしかったようだ。カトレアが派手に笑う。
「猛はデカイから、わかんないかな。とっくに、あんたたちの前にいるんだけど」
蘭たちは目をこらして周囲を見た。もしや、やはり、バラ園のなかを泳ぎまわる魚がソレか?
「いるよ」と、ユーベル。
「数は五十くらい。精神性はボクらと同じ。知能もふつう。ボクらを警戒してる。みんなが大きくて、怖いんだね。それに、タケルの見ためにビックリしてる」
ユーベルにはエンパシーでわかるのだ。
猛は苦く笑う。
「今どき、こんな羽ぶらさげてるの、おれだけだからなぁ」
猛はヘル・ウィルスに感染したときの変異で、背中に竜のような羽がある。もちろん、ちゃんと飛べる羽だ。
「おれ、どっか行ってようか?」
「僕が話してみましょう」
蘭は一歩、前に出た。
「心配ありませんよ。この人はこう見えて、物静かで穏やかです。羽があるのは病気の後遺症です」
どこからか、かん高く、かぼそい声がした。
「地球を死滅させたという、あの病のせいですか?」
「知っているのですね。それなら話が早い。そうです。我々はあれを『ヘル』と呼んでいます。あの病は人間を奇形化させます」
「では、悪魔ではないのですね? 私たちの先祖が信じていた悪魔に似ているようですが」
「違います。僕の大切な友達です」
「わかりました。あなたの言葉を信じます。二柱めの神よ」
すると、あずまやの柱やバラの木のかげから、ぞろぞろ人間が現れた。
おどろいた。どう見ても、幼児の集団なのだ。四、五歳の子どもにしか見えない。髪も肌も全身が白く、瞳は淡いブルーやグリーン。顔つきも子どもっぽい。小人症というよりは、子どものまま成長が止まってしまったように見える。
「可愛いだろ? コロポックルみたいでさ。絶対、実験動物なんかにはしないでくれよ」
そう言って、カトレアは一人の土星人を抱きあげた。
「ジャンク。元気でな。おれはもう行かなくちゃ」
「神さま……行ってしまうの?」
「おれは神じゃないよ。せいぜい天使ってとこかな。神さまは、こっち」と、蘭をさし、「神さまの言うこと聞いてれば、悪いようにはされないから」
「……そうですか。さよなら。天使。あなたの慈悲深い行為に感謝します」
カトレアは土星人たち一人ずつの頭をなでた。そのまま去っていく。とくに蘭に別れのあいさつをするでもなく、雷人と笑って話しながら、バラの廊下を歩いていく。
さみしさを感じているのは、蘭だけのようだ。
(おまえのそんなところが、キライ)
ぼんやりしていると、土星人たちが声をかけてきた。
「神よ。われらは何をしたらよいのでしょう?」
「僕たちの研究に協力してください。そのかわり、我々は住居やあなたがたに必要なすべてのものを提供します」
「御心のままに。ですが、一つだけ教えてくださいますか?」
「なんなりと」
神妙な顔で、土星人が言う。
「コロポックルとは、なんですか?」
真剣な眼差しで聞かれて、蘭はふきだした。
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