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それは僅かな違和感だった
「ん?んー…あぁ」
裾の縁がほんの少し欠けている
「解れた…?っていうのもおかしいか、縫われてないし。」
帯、というには小さすぎるほんの少しの布の欠け
「多分、これは私じゃないな」
おそらくアリスの前、いやもしかしたらもっともっと前かもしれない
過去のヒューマンテラーが布をちぎり、次の代が生まれて船の有機物に還る時に戻らなかった布の一部
「まぁ、流石にもう探せないよね」
気にしないでおこうと決めた数日後
鉱物の現物見本や標本の置かれた部屋の見学にきていた時だ
「ん…?」
左右対称の部屋の配置に一か所空きがある
「入り口はないけど、」
ほかの区画には部屋があるはずの場所に部屋がない
「ここだけ一部屋少ない、なんてことあるのかな」
コンコン、と壁を叩いてみると音が違う場所がある
中に空間がある、でも入り口がない
「んんん…」
気になりだしたらどうしようもなかった
「現在のマップを見ても部屋はない、」
手当たり次第に船内地図データを検索する
「非常用バックアップデータで残っている一番古い船内データでもない、じゃあ」
歴史文献のデータをひらく。人類史末期“宇宙船ヒューマンレター計画”
その中から初期ヒューマンレターの設計図、および配置図を開けた
「あった!!人、類、保管室…?!」
人類保管室
他の知的生命体に出会い、人間の復活が実現可能であるときのみ利用する
生きた人間をコールドスリープし、時が満ちたときヒューマンテラーが作動させる→学習機能の修学内容
コールドスリープする人間は始まりの人間に相応しく、本人も希望している人材を厳選
協議の末、ヒューマンレター計画発案設計者のエヴァ博士に任命
「人類保管室なんて、私知らない…」
メインシステム、検索、人類保管室
現在のメインシステムに直接、人類保管室を入れる
ビーーッ!!
聞いたこともない不快な音
「なっ、なに!?」
―エラー、エラー
―禁止事項です
「えっ!?禁止事項?」
―ヒューマンテラーは人類保管室のデータに制限があります
「な、なんでですか!」
―エラー、エラー
「ど、どうしよう、どうすれば」
―男性型ヒューマンテラーは人類保管室のデータは開示できません
「は…?」
エラーメッセージの下に個体名“さくら”を打ち込む
するとエラーメッセージがそのまま消えたと同時に人類保管室のデータが出された
「ど、どういうこと…?」
メインシステムに記されていたデータは歴史文献とほぼ同じ内容だった
ただ最後に「備考:ヴィンセントに精神異常発生。男性ヒューマンテラーの接触に制限」と書かれていて
よくわからなかったので一番下の人間保管室開錠スイッチだけ押すことにした
「扉が、ある…」
中から靄のようなものが漏れ出している部屋に足を踏み入れる
「…!?さ、寒い?これ、これは寒い、だわ」
生まれて初めての寒さに思わず震えた
部屋全体の温度があまりにも低い
はぁっと吐いた息が白くなる
部屋の真ん中に置かれた大きな容器の中
唾をのんで覗き込む
「っ!!」
手を伸ばして確信を持つ
彼女はいた、確かにいた
けれど、エヴァ博士は死んでいた
脈などとうの昔に失ったのか、体が氷のようにかちかちになっている
霜が降りて雪の中に埋もれているほどだ
だが、それでも真っ白な肌に銀の髪、白いドレスを着て雪の中に眠る彼女はとても美しかった
元々造詣がいいのだろう、まつ毛に氷がついて一層幻想的な美しさが増している
氷の女王と白雪姫を一緒にしたらこんな人が生まれるのだろうか
「あっ」
埋もれかけている指の雪を軽く払うと薬指に見慣れた布切れのようなものが巻き付いていた
確か、リボン結びという簡単だけど可愛らしい技法だったはず
「ヴィンセント…」
システムに怒られないよう足早に部屋を出た
勿論リボンはそのままにして
翌日、82号
幸いなことに目的のヴィンセントは早めに見つかった
ヴィンセントは26兆年前の、スウェーデンモデルの男性ヒューマンテラーで、
彼は人類保管室でエヴァ博士に恋をした
それから彼の生活態度が悪くなり、暇があれば人類保管室に向かった
当時はコールドスリープ装置が正しく作動しており部屋全体が寒くなるようなこともなかったようだ
コールドスリープ装置の中で眠り続ける博士の元へ彼は毎日毎日会いに行った
足繫く通ううちに、とうとうある感情にたどり着く
そう、エヴァ博士に会いたいと
肌に触れたい、会いたい、会って会話したい、目を見たい、手を握り返してほしい、あわよくば僕を愛してほしい
そして彼はコールドスリープ装置を勝手に解除した
この時点でメインシステムはヴィンセントを精神異常とし次代の育成を開始したが
ヴィンセントにとってはどうでもよかったらしい
コールドスリープ装置を切り、意気揚々とカプセルを開けた結果
彼女はもう既に、装置の中で死んでいた
装置に不具合があったのか、13兆年の年月に体が耐えられなかったのか、そして一体いつから死んでいたのか
理由など分かりようもなく、開けたカプセルの中、凍り付いたエヴァ博士が永遠に眠り続けていた
ヴィンセントには僅かな寿命だけしか残らなかった
彼はその後コールドスリープ装置を開けたまま再作動させ、メインシステムを逆手に取りあの部屋のすべてを隠した
メインシステムは今回のヴィンセントの行動を重く受け止め、以後男性ヒューマンレターの生産割合が減らされたらしい
ヴィンセントの寿命は歴代のヒューマンテラーの中でひときわ短い13年だった
以下、ヴィンセントの日記より抜粋
これを見た後世のヒューマンテラーよ、きっと可哀想か馬鹿かどっちかだと思っただろう!
僕は確かに馬鹿だ!けれど可哀想ではなかったよ
だって僕はエヴァを愛することができた。それに僅かでも触れ合い、愛の形を残すことができた
しかもこの後男性は減るらしいから恋敵は少なくなる!やったね!
あぁでも彼女はとても美しいからきっと女性でも好きになってしまうかもしれないね
まぁ頑張って隠したから、そこまで頑張ってたどり着けたなら彼女に恋しても仕方ないな!
ヒューマンテラー、愛って、素晴らしいものだよ。人間もどきの僕らが人間みたいになれるんだ
彼女を想うだけで喜怒哀楽が、感情が生まれる。彼女を見ているだけで幸せだなって気持ちになるんだ
それじゃ僕は一足先に彼女のもとに向かわせてもらう
知ってるかい?死んだ後に楽園があるっていう思想だよ
体は有機物分解器で分解され、今後のヒューマンテラーの糧となったとしても
僕のエヴァに対する気持ちはエヴァの元にいくんだ
それじゃあこれを見てるヒューマンテラー、君が少しでも幸せであることを祈ってるよ
「ヴィンセント、本当に人間みたい」
今抱いている感情は、憐憫か羨望か分からなかった
それだけじゃない
エヴァ博士は何のために乗船を希望したのか
ヴィンセントは会いたくて起動した装置の中で彼女が死んでいた時本当はどんな気持ちだったのか
これを書きながら何を考えていたのか
「私には、なにも分からない」
私達は生きる部品
そのはずで、感情なんて要らないし持っていないはずなのに
どうしよう、胸が痛い
何かの不具合かな
「幸せ、幸せ…幸せって、なんだろう…」
自分を落ち着かせるために吐いた言葉が重く体にのしかかった
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