因縁の新任教師

1/4
前へ
/40ページ
次へ

因縁の新任教師

1日の授業が終わった放課後、ノック音が部屋に響いた。 重厚なドアに叩かれたその音は、乱暴で荒々しく、明らかな怒りの感情が込められていると部屋の中にいる人物は気づく。 彼はその感情は当然のことだと捉え、むしろ待ってましたと言わんばかりに口角を上げた。 「開けますか?」 ドアの近くに立った女性が部屋の主に訊ねた。 縁のないメガネをかけ、色素の薄い亜麻色の髪をピッチリと後ろに纏めた彼女はパンツ姿のスーツが似合う、キリリとした印象の女性だった。 感情を表に出さない彼女の淡々とした問いかけに、部屋の主である彼はゆっくりと頷いた。 彼女がガチャリと音を立ててドアを開けると、ドアを押しのけるように少年が入ってきた。 少年の後をついていくように遠慮がちに入ってくる少女は、ドアを開けた女性にペコリと頭を下げた。 ズカズカと感情任せに歩く少年の黒髪は足踏みに合わせて上下に揺れ、夜空のような黒い瞳が部屋の主を鋭く睨みつけた。 そしてデスクを挟んで部屋の主の前に立つと、少年はデスクを両手で叩きつけた。 「なんであいつがいるんですか!! 校長先生!!」 校長先生と呼ばれた部屋の主は、生徒である少年の怒鳴り声を聞いても怯むことも、宥めようともせず、ただ薄く笑みを浮かべていた。 対照的に少年の後ろをついてきた少女が、少年の非礼な態度にハラハラと困惑する表情をみせる。 アストレイア国唯一の魔法学校であるカストリア魔法学校。 そこで校長を務めるカストル・エーリダノスは実年齢は還暦を超えているが、見た目は怒鳴り散らす15歳の少年よりも遥かに幼い顔と体格をしていた。 校長のこの姿は一部の者しか知られておらず、人前に姿を現すときは、白髭を伸ばしたサンタクロースのような老人のように姿を変える。 この場にいる者は皆、校長の本来の姿を知っているため装う必要がないが、白髪と琥珀色の瞳を持ち、シックな黒いケープを着こなすほどの落ち着きを持つ彼は、見た目と雰囲気のアンバランスさを醸し出していた。 校長に対し少年が怒りを露わにする原因は、校長から朝一番に生徒全員に伝えた内容にあった。 校長はオズワール・ガードナーという男性を新しい教師として迎え入れた。 オズワールは約1カ月前、校長を前にして遠慮なく怒りを表す()小焔(シャオエン)と小焔の後ろでおどおどと困惑しているルネッタ・リンフォードと因縁があった。 オズワールはある目的のために以前教師として学校に潜入し、生徒であるルネッタや小焔に魔法で危害を加え、そして天文台に拘束された。 自分たちの命を脅かした人物を教師として迎え入れたことに、小焔は校長といえど臆せず抗議を入れる。 「あいつは天文台に拘束されているはずですよね!? なんで戻ってくるんですか!? しかもなんで教師として!!」 「……私が彼を釈放するように取り計らった。」 校長の一言は大きな打撃を与えたかのように、息巻いていた小焔は一瞬息を詰まらせた。 「な、なんで……。」 「色々事情があってね。彼にも、同情をすべきところがあったからだと今は言っておくよ。」 「同情すべきところ? そんな説明じゃ納得できない。俺たちはあいつに殺されかけたんですよ?」 「あ、あの……。」 今にでも殴りかかるのではないかという雰囲気に声を震わせて割って入ったのはルネッタだった。 ルネッタはおそるおそる自分の考えを口にする。 「もしかして……あの、右腕ですか……? 私が、呪いをかけた……。」 ルネッタの言葉を聞いて小焔はハッした顔をする。 オズワールの右腕から右手までには包帯が巻かれており、その上に鎖を巻いた姿で生徒たちにの前に姿を現した。 以前、オズワールに襲われた際、ルネッタは小焔を守るため咄嗟に火の呪いをオズワールにかけた。 初めてかけた呪いはルネッタの想像を超える悲惨なもので、体内から沸き起こる炎にもがき苦しむオズワールの姿は、呪いの恐怖をルネッタに思い知らせた。 教師の尽力により、呪いはオズワールの右腕のみに留まらせたが、今でも徐々にオズワールの身体を蝕んでいる。 ルネッタはオズワールに対して自分が襲われた恐怖よりも、殺していたかもしれない罪悪感をずっと抱いていた。 「ルネッタ、君は頭がいいね。彼を呼び戻した一番の理由は君に彼の呪いをといてもらうためだよ。天文台の呪術のエキスパートにといてもらうことももちろんできるけど、呪いをとくのは呪いをかけた者が行うのが一番安全だからね。それに……ルネッタ、また新たに月のカケラを取り込んだんだろう?」 月のカケラという言葉にルネッタの表情が曇った。 触れてほしくないと書いてあるようなその顔に、校長の微笑みながら少し眉を下げた。 「この先、月の魔女と関わっていくなら、呪いのとき方も身につけた方がいい。なにより、彼の呪いをとくことは君にとって乗り越えるべきものがあるんじゃないかな?」 何も言わずに俯くルネッタの姿は、ルネッタ自身もそのことに気がついていたことを示していた。 「戻ってきた理由はわかりましたけど、なんでまた学校の教師としてなんですか? 呪いをとくためなら、天文台に拘束されたままでもできますよね。」 「それはもちろん、彼にはきちんと教師としての素質があるからだよ。」 小焔はぽかんと口をあけた。 以前考古学の教師として教鞭に立っていたオズワールはとても教師として立派だとは言えなかった。 ボサボサの髪にヨレヨレの白衣を見に纏い、生徒たちには適当に課題を与え、自分は教卓に足を乗せて昼寝をしていた。 魔法を使うこともなく、教師が生徒の前で怠惰な姿を晒すオズワールの授業は、生徒たちが自由におしゃべりをし、歩き回るといった無法地帯な状況だった。 荒れた授業を思い出した小焔は思わず絶句した。 「……あれが?」 「もう一度彼の授業を受けてみるといいよ。今後は実践魔法を担当するからね。それと、ルネッタ、君にはテレサ先生のほかに彼の特別授業を受けてもらうよ。」 「え……?」 校長の提案にはさすがにルネッタも驚きの声をあげた。 校長は自分の命を脅かした相手と2人きりで授業を受けろと言っていた。 ルネッタの気持ちを代弁するかのように、小焔が声を荒げた。 「待ってください、そんなの危険です!」 「それなら、ひとまず様子を見るのはどうだろう。私がルネッタに守護魔法をかける。彼がルネッタに指一本も触れられないようにね。ルネッタが彼を心から許すまで守護魔法はとかれない。」 「……私が許すまで……。」 「特別授業は守護魔法がとかれてから行うようにしよう。」 「だけど……!」 「……待って、小焔。」 校長の提案にも食い下がる小焔に、ルネッタがはっきりとした声で止めた。 「私は……それでかまいません。」 「ルネッタ、いいのかよ?」 「校長先生も言ったとおり、私の問題でもあると思うの。だから……。」 自分のためにここまで声をあげた小焔に、ルネッタは申し訳なさそうに俯く。 当事者のルネッタがそう言ったら、小焔にはこれ以上言えることはなかった。 校長にはオズワールがルネッタに危害を加えることがあれば即刻天文台に拘束してもらうことを約束し、その場は収まった。 ルネッタと小焔が校長室を出ようとしたとき、校長はルネッタに声をかける。 「”同情すべきところ”というのは君が彼にかけた呪いのことじゃないよ。天文台にいたときに起きた彼自身のことだからね。」 「天文台……。」 ルネッタは自分を襲ってきたオズワールのことを思い出した。 オズワールは天文台に対し激しい憎悪と、それ以外のことは自分自身を含めて諦めたような発言をしていた。 「だから君が彼のことをどうしても許せなかったときはそれでもいい。特別授業や彼の呪いのことも気にしなくてもいい。ただ、彼自身のことを知ってから判断をしてほしいんだ。なぜなら……月の魔女が関わっているからね。」 「え?」 どういうことかとルネッタが聞き出す前に校長は部屋から出るように促した。 静かに微笑んだその顔はルネッタに疑問を投げかける隙など与えなかった。 *** 「ミス・リンフォード。」 校長室を出ると、先程校長室で控えていたスーツ姿の女性に声をかけられた。 ルネッタが振り返ると、女性が背筋をまっすぐにして立っていた。 彼女は校長の秘書をしていて、生徒たちからは「ヘレン先生」と呼ばれているが教鞭には立たない。 校長のサポートをし、あらゆることに冷静に淡々と対処する優秀な秘書だった。 ただ、無機質な仕草と表情をする彼女は生徒たちにすら笑いかけることは決してなかった。 「眼鏡の調子はどうですか?」 「えっ」 ルネッタはつい2日前から眼鏡をかけていた。 視力が低下したわけではなく、とある理由で瞳の色が変わってしまったからだった。 突然の変化であったため、周りを驚かせないように眼鏡のレンズ越しに見れば元の瞳の色で人から見せることができる特殊な眼鏡をかけていた。 おかげで今は碧色のルネッタの瞳は生まれもった深い朱色の瞳に見せることができた。 「眼鏡、ですか?」 「その眼鏡は慣れないと目眩や吐き気を引き起こすことがありますから。」 普段生徒に関わりを持たないヘレンがルネッタの眼鏡を気にすることにルネッタは少し驚いた。 しかしこの眼鏡はヘレンが用意したものであり、簡単な測定をしたあと、その日のうちに出来上がったものだった。 ヘレンの正確な手捌きでできた眼鏡はルネッタに負担をかけることはなかった。 「とくにありません。大丈夫です。」 ルネッタは感謝の意を込めてペコリと頭を下げると、ヘレンは「そうですか。」と一言だけ言って校長室に戻っていった。 眼鏡をかけてルネッタは気がついたことがある。 ヘレンもまた自分と同じ眼鏡をかけていると。 彼女の周囲に見せる緑の瞳は、本来の瞳ではないとルネッタは気がついた。 そして、自分と同じようにヘレンにも瞳を隠す理由があるのだと思い、そのことに触れようとすることはなかった。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加