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それから1ヶ月すぎた。
何事もない1ヶ月だった。
季節は少しずつ秋らしくなり、制服は夏服から冬服へと衣替えの移行期間となる。
この期間はワイシャツにセーターやカーディガンを着る者や未だに夏服の半袖を着る者もいる。
生徒の服装が統一されない唯一の期間でもあった。
オズワールはこの1ヶ月間ルネッタにも小焔にも一切手を出すことはなく、以前のことは何もなかったかのように振る舞った。
それどころか今までの授業に対する怠惰な態度は一変し、しっかりと教師としての勤めを果たしていた。
以前考古学を教えていた教師が突然魔法実践の授業をしていることに違和感を感じた生徒が多かったが、すぐにそれは払拭されたることとなる。
なぜなら校長の言った通り、オズワールは教師に向いていた。
魔法実践の授業は席に座り、机に教科書とノートを広げ、黒板を使って授業をすることはほぼない。
場所は教室、グラウンド、講堂など授業内容によって場所が変わり、授業中は必ず杖を出して呪文を唱え、生徒たちは立っていることが多い。
決められた魔法を対象物にかける、生徒たちに一対一で魔法を掛け合う、時にはゲーム性を設けることもある。
オズワールは決して熱血教師のように生徒に付きっきりに指導することはなかったが、魔法がうまくいかない生徒にはそっとアドバイスをし、授業に集中しない生徒には的確に指摘をした。
何よりオズワールの魔法は正確かつ強力で、その指導者のあるべき姿に誰もが魅了され、たちまち人気の教師になった。
さらに目が隠れるほどの長い前髪をまれに纏める時があり、髪に隠れた端正な顔立ちが女子生徒たちの間で密かにファンクラブが作られるほどだった。
そんな状況を小焔は不貞腐れた様子で見ていた。
「オズワール先生が人気があるの気に入らないんでしょ、小焔。」
「違う!」
小焔をからかうように笑うのはルネッタの親友のニーナ・ラドアンダーだった。
飴色の瞳とブロンドの髪をポニーテールに纏めた彼女は即座に否定してきた小焔をプププと嘲笑った。
オズワールが親友と自分を襲った人物だと知らないニーナに本当の姿を教えてやりたいと小焔は心から思った。
「たしかに考古学の先生が急に違う授業をやることになってびっくりしたけど、今の授業のほうが断然楽しいもん。」
「態度も断然違いすぎるだろ。」
「みんな楽しければいいのよ。ルネッタはなんでか緊張してるみたいだけど。」
そこまで言ってニーナの表情が少しくもった。
何か言いづらそうに口をもごつかせ、たどたどしく口にし始めた。
「……小焔、ルネッタはいつまで眼鏡をつけてるの?」
「え……。」
ニーナに似合わず覇気のない声から言われたことに小焔は少し動揺した。
ルネッタはニーナに「薬品が目にかかった」という理由で眼鏡をしていると説明し、本当のことを話していなかった。
数日の間だけだと思っていたニーナはまさか1ヶ月以上たっても眼鏡をはずさないことに疑問を抱いていた。
本当のことを知っている小焔は自分の口から言うことはできず、少し返答に悩んだ。
「えっと……ルネッタはなんて言ってるんだ?」
「……最近、ルネッタのことがよくわからない。」
「え……?」
「ずっと前から何かに悩んでいるみたいなんだけど、何かあったか聞いても言わないし、放課後は何してるのかわからないけどすぐいなくなるときがあるし……それに、最近は無理して笑ってる気がする。」
ルネッタには親友のニーナに言えてない秘密がある。
かつてアストレイア国に月の魔女と呼ばれるマリア・ソルエージュという魔女が存在した。
彼女は多くの呪いの魔法を生み出し、そして何者かに命を引き裂かれたことによりこの世を去った。
彼女の裂かれた命は月のカケラと呼ばれ、この世に7つ存在すると言われている。
その内の3つが現在、ルネッタの体内に取り込まれている。
1つ目のカケラはルネッタの命を救い、満月の夜に月の魔女と人格が入れ替わるようになった。
2つ目のカケラは月夜の下であれば、満月に関係なく月の魔女の人格が現れるようになった。
そして3つ目のカケラはルネッタから瞳の色を奪った。
ルネッタの瞳の色が本来の朱色から月の魔女と同じ碧眼に変わったのは3つ目のカケラを取り込んだ影響であり、ルネッタはそれを特殊な眼鏡で隠した。
ニーナを含め多くの生徒や教師が知らないため、ルネッタ自身に起きている変化にニーナは理解ができなかった。
「ルネッタは私の友達で、ルームメイトで、ベッドを仕切っているカーテンを開ければすぐに笑い合えたのに……今はなんだか、遠い。」
「ニーナ……。」
「なーんちゃって、ねっ!」
「痛った…!! お前なあ……。」
ニーナは小焔の背中を叩き、ケラケラと陽気に笑って怒る小焔から逃げるように友達のもとへかけていった。
友達と話す姿はもとの明るい表情に戻っていたが、小焔は先程までの表情が頭から離れず、背中の痛みがなんだか切なく感じた。
「女の子って大変だよね。」
ニーナと入れ違いで小焔に声をかけたのはフィン・クラレンスという男子生徒だった。
クラレンス家はアストレイア国の中でも名家の1つであり、フィンはクラレンス家の次男だった。しかしある事件によって現在はその名誉も地に落ちている。
事件の発端となったのは月の魔女の存在であるためフィンもルネッタの秘密を知っていた。
シルバーグレーの髪に緑青色の瞳に加えてスタイルの良さと整った顔立ちは以前までは周りに女子生徒が必ずいた。
しかし事件をきっかけに彼女たちはフィンに近寄らなくなり、その状況をフィンは悔やむどころか清々と謳歌していた。
「女は男よりも感情豊かなんだって。だからちょっとした変化に気づきやすいし、共有もしたがるから相手のことがわからないと置いていかれた気持ちになりやすいらしいよ。」
「……へえ。」
ニーナの気持ちを代弁し、小焔でも少し理解しやすく解説したフィンに小焔は流石異性に人気になるだけはあると感心した。
「ルネッタはニーナに話してないんだね。親友だからこそ、嫌われるのが怖いのかな。」
「……そうかもな。」
「でもニーナだって、ルネッタに寄り添えないことにはがゆく感じてると思うけどな。」
フィンが最後にぽそりと呟いた言葉に小焔は何も答えなかった。
小焔にも十分にわかっていて、それでもルネッタの気持ちを尊重したいと思っていたからだった。
「そういえばオズワール先生のこと、どうするの?」
「……ルネッタ次第ってところだ。」
オズワールの話題が出た途端、小焔はまたもとの不機嫌な顔に戻った。
「……大丈夫かな。」
「何が?」
「ルネッタって自分を犠牲にするところがあるから。」
「え、そうか?」
「動物狩りを追ったとき、ルネッタは一度空を見たんだ。今思えば、あれはあとどれぐらいで月の魔女になるか把握するためだったんじゃないかって。いざという時、月の魔女の力を借りようとしてたんじゃないかな。」
「まさか……月の魔女になるのを嫌がってるのはルネッタ自身だぜ?」
「僕もそう思うけど……僕の家の事情を知っただけでオークションの商品としてすんなり自分を差し出したことを思い出したら、そんな気がしてきて。」
「それと森で月の魔女になったこととどんな関係があるんだよ?」
「だから、あの時のルネッタは動物を助けることが一番だったんだ。たとえ……自分自身じゃなくなっても。ルネッタは月の魔女のことを受け入れてないんだろ。だったら、あの時の行動はそう考えないと辻褄が合わないと思わない?」
小焔の背中に嫌な電気が走ったようだった。
不愉快な何かが頭をピリピリと這う。
「ルネッタは優しいし、誰かのために一生懸命になれるけど……自分を犠牲にしてたら身を滅ぼすよ。」
フィンは幼少期育った環境の影響で人をよく見て、自分の身を守るために相手の心地いいと感じる行動や会話を即座にできるよう身につけていた。
校内で人気があったのもルックスや家柄だけでなく、相手の心を簡単に掴む巧妙な会話術のためでもあり、今では逆に愛想を振りまくのを止め、自分に必要だと思わない相手は自分に寄り付かせないようにコントロールをしている。
それゆえにフィンの人に対する分析力の高さは小焔も認識していて、尚更フィンの言葉が重く感じられた。
「オズワール先生にどんな事情があるかは知らないし、それを知ってルネッタが先生のことを受けいれようがどうしようがルネッタが決めたならいいと思うよ。でもさ、先生を受け入れたとして、ルネッタはちゃんと自分の身を顧みてるのかな? もし違うとしたら……その決断って、本当にルネッタのためになると思う?」
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