75人が本棚に入れています
本棚に追加
/24ページ
その時、山羽が動いた。僕たちに気が付いていない様子のおかめさんの元へ行き、
「おかめさん」
と声をかける。名前を呼ばれたおかめさんが、ハッとしたように振り向いた。
「山羽さん」
おかめさんは驚いた様子で山羽の姿を見た後、僕たちの方に目を向けた。最初に僕、そして川瀬さんの顔を見て、おかめさんの目が見開かれた。
「あ、ああ……」
おかめさんは口元に手を当てると、呆然とした様子で声を上げた。
「その痣……私の、赤ちゃん」
「やっぱりそうなの?」
山羽がおかめさんの顔を覗き込むと、おかめさんは、こくりと頷いた。
「間違えようがない……私には分かります」
おかめさんは川瀬さんの元に近づいた。自分より背の高い川瀬さんの顔を、涙の浮かんだ瞳で見つめている。
けれど、川瀬さんは目の前におかめさんがいることに気が付いていない。僕の方を向くと、
「兄ちゃん。さっき、風呂で、お亀池の伝説の話をしただろう?実はあの話に異説があるんだ。これは俺の家にだけ伝わっているみたいなんだが……」
と、話し出した。
「異説?」
「そうだ。毎晩池に行っていたのは実はお亀じゃない。旦那の方だったんだ。お亀は、夜に出かけていく旦那を不思議に思い、赤子を抱いて、後を付けた。すると、この池で、旦那が女と逢引きをしているところを見つけたんだ。お亀はショックを受けて、旦那に詰め寄った。『私を裏切って浮気をしていたのか。許せない』とね。すると、旦那は逆切れして、お亀を池に突き落としてしまったんだ。お亀は咄嗟に赤子を地面に放り投げた。赤子が大声をあげて泣き出したので、旦那は慌てて赤子を拾い、その場から逃げ出したんだ。お亀池の主はそんなお亀を憐れんで、大蛇の姿に変身させ、旦那への復讐を遂げさせたと言われている」
「えっ……」
お亀池の伝承とは真逆の話を聞き、僕は目を丸くした。そして、僕の視線は、自然とおかめさんの方へ向けられた。おかめさんは川瀬さんの話を聞いて、青ざめた顔をしている。
「そう……でした。私は、主人に殺されました。恨みに思って主人を殺した後も成仏出来ず、そのまま何百年もこの場に留まっていたのです。けれど、時が経つにつれて、そんな記憶も薄れていきました…………」
僕たちの間に沈黙が落ちた。
何も言えなくなっている僕を見て、川瀬さんは苦笑した。
「そんな話があるもんだから、俺は兄ちゃんが幽霊を見たんじゃないかと思ったってわけだ」
夕日が、今にも沈もうとしている。空が上の方から藍色に染まっていく。
「逢魔が時だわ……」
山羽がぽつりとつぶやいた。
最初のコメントを投稿しよう!