六.

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六.

「えぇと、そう、つまり、恐らくは、彼らの言う幽世(かくりよ)というのは、量子論的に存在するとされている並行宇宙(マルチバース)のことなのではないのかな。我々の住むこの宇宙とは似て非なる、本来関わり合うことなど無い別の宇宙。まさしく『彼岸』の世界だ。で、『逢魔が時』とは昼から夜、もしくは夜から昼に移り変わる際の瞬間的なものと言っていたから、これも恐らくだが、何か特別な条件が揃った際の光子同士の衝突による粒子と反粒子の生成、そして同時多発的に生じるそれらの対消滅によるエネルギーなどが何らかの特異点を生み出し、それが『扉』となって二つの宇宙を繋げてしまうのではないかな」 「うぅーん、そんなことあるんですかねぇ」 自販機からミルクティーを取り出しながら、相変わらず徹は首を傾げている。 「あってもいいじゃないか。そもそも幽世なるものもあやかしなるものも、科学的に反証することはほとんど不可能なんだからな。『絶対に無い』ということを証明するのは最も難しいんだ。で、今回実際にそういった何らかに自らが接触してしまったわけで、ま、運良く貴重な物理学現象に遭遇できたと思えばいい。世界は広いんだ。人間ごときが説明できていることなど、ほんの一握りに過ぎないのだからね。例えば私が今猛烈に、安っぽい喫茶店の美味しくも不味くも無い中途半端なナポリタンスパゲティを食べたくなってきていることについて、科学的に説明がつくかい?」 「えぇ……?急だし話の規模が桁違いに縮みましたけど」 「規模?いいや、同じことさ。科学というのは宇宙も扱えば人間の食欲の原理も扱うものじゃないか」 「まぁそうですけど……。えぇと……宇宙という不安な空間から故郷である地球に戻ってきて、安心感と郷愁感、そして生を実感するために生存に直結する食という欲求が湧いてきて、いかにも懐かしげな料理を深層心理的に欲しているとかじゃないんですか」 「いや、私はナポリタンなど食べたことは無いし、あぁいうケチャップ味の料理も全然好きでは無いのだよ」 「えぇと……そしたら……」 本気で悩み始めた徹に、 「ま、いいじゃないか。科学者が言うのも難だが、未だ科学で説明し尽くすことのできない現象も含めて受け入れて、しょせん人間、根源的には感じるままに欲望のままに生きていくしかないもの、ってことなんだよ。船の中でずっと私の胸元をチラチラ見ていたお前のようにな」 遊佐木が両腕で胸元を隠しながら悪い笑みを浮かべた。 「な……見てませんよ!なんですか、なんかちょいちょい僕のことを公私混同年中無休の発情期みたいな扱いしますけど、全然そんなことありませんからね!」 「そうか?ではチラチラ見てたのはもう一人の、あやかしの方のお前だったのかな。まぁどっちでも似たようなものか。っていうか……お前本当はどっちの徹君だ?どさくさに紛れて入れ替わってたりしないだろうな。なんかやたらと地球が眩しくてあったかいとか感動してたし、そうやって少しずつ入れ替わっていって、最終的には我々の世界に定住するつもりでいるんじゃないだろうな」 「僕に言われても知りませんって!僕は人間の方の徹なんですから」 「ちっ、つまらん。あやかしを助手に連れてた方が漫画みたいで面白かったのに」 「なんかすいませんね!普通の人間で!っていうかどっちなんですか、本当は入れ替わって欲しかったんですか」 「いや、正直どっちでもいい。お前自体にそもそも興味が無いからな。そんなことよりさっさと帰るぞ」 「記者会見はどうするんです?もう面倒だったら僕が全部答えましょうか?」 「『宇宙ではずっと、無重力下で遊佐木先生の胸がどう揺れるのかを確認してました』とか発表するのか?お前すごいな、その勇気はどこから湧いてくるんだ?」 「そんな発表するわけ無いでしょうが!行きますよ、ほら!」 徹にせっつかれ、面倒臭そうに立ち上がりラウンジを出て行く遊佐木の背を、窓から差し込む日没の黄昏の光が眩しくあたたかく見送っていた。 終
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