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ぼくはひとり、池にうつるお月様を眺めていた。
「うちの子を返して下さい!」
学校から帰ったら、おばさんが泣きながらぼくに抱きついてきた。びっくりしたぼくは手も洗わず二階に上がったけれど、大人たちの言い合いは夜になっても終わらなかった。
秋風がひんやりとして、パーカーについたフードをかぶった。銀色の三日月が水面でゆらゆらしている。
「家に帰らないのかい?」
空から声が降ってきて思わず顔を上げた。お月様がにっこり笑った気がして、目をこする。
「おうちの人が心配しているだろう」
風のような声で言ったのはやっぱりお月様だった。「……ぼくに話してるの?」とこわごわ首をかしげると、吹き抜ける風と共に「そうだよ」と返事が返ってきた。
「だれも僕のことなんて心配してないよ」
「どうしてそう思うんだい?」
「だってあの人達……ぼくの親じゃなかったもん」
「ほう」
自分の部屋にこもっても大人たちの声は全部聞こえてきた。ぼくを生んだのはお父さんの妹、おばさんだと思ってた人。
ぼくのお父さんとお母さんに子どもができなくて跡取りが必要だったから仕方なく次男を「養子」に出した。けれど長男がもうすぐ病気で死んでしまいそうだから次男を返して下さい、そんなことを言ってた。
ぼくはもう小学校五年生だ。「養子」の意味もわかるし、「次男」がぼくだってこともわかる。
いとこだと思ってたヨシくん、本当のお兄ちゃんだったんだな。トンボの捕まえ方を教えてくれたのに病気で死んじゃうんだな、と思うと少し涙が出た。
ぼくはひざを抱えて池にうつる月を見つめる。
「……大人なんてみんな勝手なことばっかり言うんだ。『養子』とか『もうすぐ死ぬから』とか……ヨシくんはまだ生きてるのに」
「確かにそうだな」
「それで死んだらぼくを返せとか言うんだ。ぼくのことなんかどうでもいいんだ」
池に小石を投げ込んだ。波紋が広がって月の輪郭がぐにゃりと揺れる。
ジーンズのひざには縫い直した跡がある。ぼくが寝ているあいだに裁縫が苦手なお母さんが繕ってくれた。あの人はお母さんじゃなかった。月に一度、釣りに連れて行ってくれるメガネの人はお父さんじゃなかった。
誰もぼくに本当のことを話してくれなかった。
「坊や、私のかくしごとを教えてあげようか」
「……なに?」
鼻をすすり上げるとお月様はじっと池を見下ろした。
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