おばあの修行ノート

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おばあの修行ノート

   そんな、おばあは、私が成人して働きだした後「待ってました!」というように亡くなった。    私の人生は、身内のには恵まれない人生だったけど、おばあが傍にいてくれて何不自由なく幸せに大きくなることができた。それがどんなにありがたいことだったか、私は十分に実感できる歳になっていた。    それに、おばあは母みたいに突然の交通事故でもなく、化粧水を叩きこむ瞬間でもなく、病気になって、覚悟もして、私にも遺言らしき言葉と死後の諸々の処理も指示して満足そうに亡くなったのだ。だから私もそんなに悲しくなかった。  不思議な力で、きっと死んでからも私に助言を与えてくれるだろう。  何かの瞬間に、バチリとウィンクをしてくれるだろう。  私も修行をしよう。  そのサインを受け取れるように。  夢の中で会えるように。  そう、働く病院の屋上で、休憩がてら夕方の空をみながら私は思った。  それでも、おばあが亡くなってしばらくして、おばあの遺品を整理した時に出てきた手帳に書いてあったおばあの詩を読んだ時、私は初めて号泣したのだ。その手帳の中身を見て、もう、二度と涙が止まらないのではないかと思うくらい私は泣いた。  その手帳は、娘を失い、幼い孫娘を抱えた明るいおばあが、必死に”娘の死”を受け入れよう、理解しようとしていた叫びであり、おばあの修行ノートでもあった。書きなぐったような、落ち着いてかいたような、涙の後がにじんだような、たくさんの想いが詰まったノートだった。  そして、ところどころに完成した詩があって、それがいつもの関西弁じゃなかったことが私の心をもっと締め付けた。    そこに、おばあの本当の気持ちがあった。  いつも明るく笑って、ウィンクを連発しながら私が大きくなるまで必死に生きたんだなと私はおばあとの時間を思い出す。  看護婦として、母親として、人の死を見送ることの多かったおばあにとって、夕方の空は私だけではなく、おばあにとっても慰めだったんだなと私は初めて知った。  そんないくつか完成していた詩で一番のおばあの傑作と思った詩がこれだった。  
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