その指に絡めるのは愛の約束

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眼を開くと息が触れるほど顔が近づいてその目は僕の唇に注がれていた。 息を吸おうとして開いた唇に、唇が重なった。 熱い舌が割って入る。おじけた僕の舌を追いかけ追いつく。 ひそかな、甘やかな、二人だけの秘密。 その手は僕の体に触れて、彼の昂る気持ちそのままに語りだす。 「僕を見る君の目は、きれいで惹かれる。こんな気持ちになったのは初めてだ」 だけど僕は光村漸を突き放していた。 一瞬のうちに高揚していた気持ちは冷やされていた。 それは、教師の卵と生徒、男と男だからというところからではなく。 僕の中で全く関係のないもの同士が繋がってしまったのだ。 光村漸。 漆塗のゼン君。 姉の恋人。 僕は彼を聞き知っていた。 金継ぎは漆を使う。 今まで気がつかなかったのが不思議なほどだった。 これは玩具にしてはいけない相手だった。 そして導かれるままに僕のまだ知らない世界へ、好奇心のままに突き進んでも。 僕を見る光村漸の、いきなり拒絶され傷ついた眼が苦しげに揺れる。 その手が僕に向かって伸ばされた。 僕の熱を切実に求める漆にかぶれた漆塗作家の手。 あれ以来僕は彼を避け続ける。 僕の絵は変わる。 熱が、皮膚のざらつきが、切羽詰まった想いが加わった。 請う、恋う、抗うと名付けた手のデッサンは好評だった。 僕は光村漸の、そのざらつく手が僕の体中に触れてもいいと思えるほど好きだったと思うのだ。 「くそまじめなやつは面白くないよな」カズヤはいう。 そうして何事もなく光村漸は教育実習を終えて僕たちの前から消え去った。 彼のことなどほんの数日も待たずに忘れ去られるだろう。 そして相変わらず、僕たちは退屈な日常を繰り返すのだ。 チャイムが鳴った。 ダイニングテーブルには彩り豊かな多国籍料理が並べられている。 扉を勢いよく開いた波姉がネクタイを締めた彼氏の首に腕を回す。 男の手がその背中を強く抱き返す。 波姉は満面の笑顔で振り返った。どこか自慢げな笑顔はまぶしい。 光村漸は姉を透かしてようやく僕に気がついた。 彼が僕に惹かれたのはどこかに姉を見たからか。 握手に差し出された指輪をつけたかぶれた痕を残すその手を握る。 握り返したその手は汗ばみ微かに震え動揺を伝えていた。 姉の穂波と光村漸は来春結婚する。 あのふたりだけで過ごした時間は彼と僕の、一生持ち続けるであろう二人だけの秘密なのだ。
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