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「もしもし」彼女の声は震えていた。「ごめんね。あたしはもう龍太くんとは会えないかも」龍太が全く予期していなかった言葉が続いた。父親の仕事の関係で、ミャンマーへ移住することになったのだという。
「ミャンマー?」
龍太の頭の中でおぼろげな世界地図が広がった。優里奈が何を言っているのか飲み込めるまで時間がかかった。
彼女の父親は大手スーパーの高位の職責者をしているが、遂にミャンマーの最高責任者を任命されたらしい。新店舗の事業拡大のために地元で陣頭指揮を執るのだという。
「単身赴任じゃダメなのかい? 親父サンだけ行ってもらえばいいじゃん。どうせ一年か二年くらいだろ。優里奈は学校は? 大学は?」
龍太が意見をしても始まらないが、言わずにはいられなかった。
「シンガポールのインターナショナル校へ行けっていうのよ。ほら、あたし、英語検定2級持ってるから、いい機会だからグローバル人間になれっていうの。お父さんはミャンマーには十年はいるようなことを言ってた。だからお母さんも一緒に引っ越すの」
ヤンゴンで生活するための充分な補助が会社から提供されるのだという。ミャンマー政府も日本企業の誘致には積極的なんだそうだ。
龍太は眼の奥が熱くなるのを感じた。言いようのない冷たい落胆がすとんと落ちてきた気がした。優里奈はいろいろ話していたが、ほとんど頭に入ってこなかった。
「急に決まったわけじゃないだろ?」
龍太は咎めるような強い口調を投げた。あの日、ちゃんと塩水楔に向かってお願いをしていれば、こんなことにならなかったもしれない。後悔がよぎった。パティシエになって、優里奈と結婚して、一緒の店を持ちたい・・・夢は夢のまま終わってしまったようだ。
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