第一章 皇帝陛下

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「素敵な贈り物を、ありがとうございます。陛下」  しなびかけてしまったその花を、紅華は両手で優しく包む。 「ほう。貴妃様への贈り物に雑草など……と思ったが、まんざらでもなさそうだ」  独り言のようなつぶやきは、天明だった。それを聞いて晴明が苦笑する。 「可愛いな、と思ったら、紅華殿のことを思い出して。挨拶の時はあまり話もできなかったから、もう少し話をしてみたかったんだ」 「どうぞ、お入りください」 「いや、やっぱり今日はこれで失礼するよ。今度来るときには、もっと話そう」 「はい。楽しみにしております」  笑顔を返すと、晴明も嬉しそうに笑ってくれる。それから晴明は、部屋の中にいた天明に声をかけた。 「お前も帰るぞ」 「俺はもう少し紅華殿と親交を深めてから」 「お前ばかり話すのはずるいじゃないか。いいから来い」  くだけた晴明の物言いに、紅華は目を瞬く。 (ずるいって……ナニソレ、かわいい)  皇帝相手に、笑うのはそれこそ失礼だ。顔には出さず、紅華は心の中だけで微笑むことに成功した。  天明は肩をすくめると、晴明のいる扉へと向かった。そして紅華とすれ違いざま、彼女だけに聞こえる声で小さく囁く。 「……」 「え?」  それきり振り返りもせずに、天明は部屋を出ていった。 (なに? 今の言葉は……)  紅華は、呆然とその姿を見送る。 「蔡貴妃様?」  やけに険しい視線で見送る紅華に、心配そうに睡蓮が声をかけた。その声で、紅華は我に返る。 「いえ、なんでもないわ。……本当にそっくりなのね、あのお二方。他のご兄弟もあんな顔しているの?」  なんとなく今の天明の言葉については話せずに、紅華は別のことを聞く。睡蓮は、ゆるりと首を振った。 「いえ、ご兄弟の中でもお二人は特に、先々代の皇后……お二人のおばあさまによく似ておられます。他の方々は年も離れておりますし、あれほどに似てはおりません」 「そう。とてもきれいな方だったのね」  二人とも黙って立っていれば相当の美丈夫だった。 (同じ歳、ということは、天明様は第二皇子なのね。何を考えていらっしゃるのかしら) 「あの、貴妃様」  紅華が考えこんでいると、おずおずと睡蓮が声をかけてきた。 「なあに?」 「天明様のことは、他の方にはあまりお話にならないでください」 「え、どうして?」  睡蓮は、少し考えてから口を開いた。 「天明様のことは宮中でもあまりよく思わない方が多いので……あの方とお知り合いと思われてしまうと、蔡貴妃様にご迷惑をおかけすることがあるやもしれません」 (どんだけ評判悪いのよ、あの男!)  呆れた紅華だが、それでも皇族ならばおろそかにはできない。 「わかったわ。それと睡蓮、私からもお願いしていいかしら?」 「どのようなことでしょう?」 「あの、天明様の前での私の失態は、できれば晴明陛下には内緒にしておいてください……」  尻つぼみに言って紅華がうつむくと、睡蓮は目を瞬いた後、穏やかに笑んだ。 「かしこまりました。遅くなってしまいましたね。急いで夕餉にいたしましょう」  睡蓮が部屋をでていくと、紅華は長椅子に座って体の力を抜いた。 「ふう……」  ようやく一人になると、思っていたより気を張りつめていたことを実感する。本当に慌ただしい一日だった。  ふと、去り際の天明の言葉が頭によぎる。 『一刻も早く後宮を去れ』  微かな声ではあったが、はっきりと紅華の耳に届いた。 「どういうこと……?」  もしかして晴明には、夫にするには何か問題でもあるのだろうか。いや、そう言った天明こそが注意すべき人物なのかも知れない。では、何のためにあんなことを言ったのだろう。それまでの軽い調子の声音と違うことからしても、単なる冗談とは思えない。 「わけわかんないわ」  少なくとも紅華には、晴明は好感を持てる青年のように見えた。幸い、これからしばらくは晴明が喪中に入るので、紅華との婚礼は喪が明けてからになるだろう。その間に、少しでも晴明の本性を知ればいい。  それでどうしてもだめだと思ったら、貴妃だろうがなんだろうが、振り切って後宮を飛び出してやる。紅華は物騒な考えにたどりついた。 (……優しそうな人だったな)  その通りの人ならいいな、と紅華は思った。
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