第二章 一人だけの後宮

2/11
前へ
/55ページ
次へ
「紅華殿」 「は、はい」 「父上が亡くなって、これから後三カ月の間、私は喪中に入る。だから私たちの結婚式は、喪が明けてから執り行うことになった」 「はい」  それは予想していたことなので、紅華は驚かなかった。 「それまで君は、正式な貴妃ではないにしろ妃嬪に準じる立場になる。ここで好きに過ごしてくれて構わないよ。何か不自由があれば、睡蓮に言ってくれ。彼女は、前皇帝の代から女官長を務めている信頼できる女性だ。頼りになる」 「わかりました」 「それから、今日はこれを」  そう言いながら、晴明は懐から小さな箱を取り出して紅華に渡してくれる。紅華の手の平には少しあまる細長い箱だ。紅華は、晴明を見上げた。 「これは?」 「開けてみて」  紅華は、その箱を開けてみる。と、中には細かい細工の施された美しい翡翠のかんざしが入っていた。紅華の住まう翡翠宮にかけて選んだのかもしれない。 「まあ」 「先日、菫を持ってきたら天明に笑われてしまったからね。何か貴妃に相応しいものを、と選んできたんだ。喜んでもらえるかな?」  商家の娘である紅華には、それがどれほど高価なものなのか一目でわかった。見当のついたその値段に言葉を失う。それと同時に、そのかんざしに欄悠の顔が重なって見えて、紅華は複雑な気分になった。 「こんな高価なもの……いただいてよいのでしょうか?」 「もしかして、迷惑だったかな」  なんとなくしょんぼりしてしまった晴明を見て、紅華はあわてて首を振る。 「いえ、あの、ありがとうございます。これほどに綺麗な琅玕、初めて見ました。とても嬉しいです」  その言葉に安堵した晴明は、顔をほころばせた。 「お世辞でも、そう言ってもらうと嬉しいね。紅華殿も知っての通り、私には今まで妃がいなかった。だから紅華殿とどうやって距離を縮めていったらいいのかわからなくて……こんなもので気をひこうとしている私を、笑わないでほしい」 「晴明様……」  照れたように笑う表情は、とても演技とは思えない。だが、いまだ晴明を信じ切れない紅華は、ぎこちなく笑う。 「わたくしも、晴明様のお慰めとなれるように精進したいと思います」 「ありがとう。それはそうと、まだ言葉遣いが堅苦しいね。もっと気楽に話してくれていいんだよ」 「でも……」 「ね、紅華殿」   晴明が、身を乗り出して紅華を見つめる。 「私たちは政略結婚でもあるし、会ったばかりの君を愛しているとはまだ言えない。けれど、これから時間をかけてお互いに歩み寄って、できればお互いが一緒にいて気楽になれる関係を築いていきたいと思っている。もちろん、君がそういう関係を嫌でなければ、という前提だけれど。そんな皇帝では、嫌かな?」 「とんでもありません! 私もその方が嬉しいです」   紅華が言うと、晴明も嬉しそうに笑った。 「よかった。頼りない夫と思われたらどうしようかと思っていたんだ。どうかよろしくね」  晴明の不器用ながらも真摯な態度は、紅華の不信な心を少しづつ、だが確実に溶かしていった。 (信じても……いいのかも、しれない) 「こちらこそ、お願いいたします」  紅華は、ようやく心からの笑みを浮かべることができた。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

255人が本棚に入れています
本棚に追加