第三章 牡丹の庭

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「何を言ってるんですか?」 「やっぱり、晴明なんかやめて俺にしとけよ」 「ですから、私は皇帝の妃です。いくら皇子とはいえ、度が過ぎると皇帝に対して不敬にあたりますよ」 「まだ正式な貴妃じゃないんだから誰のものでもないだろう? お前が気にいったと言ったのは嘘じゃない。俺のものになれよ」 「そういうわけには……」   言い争っているうちにあずまやにたどり着いた。女官や侍女たちの前でそれ以上口論を続けるわけにはいかず、紅華は口を閉じる。 「紅華殿、気をつけて」  天明は、わずかの段差にすら手を添えて紅華を支えてくれる。完全に、周囲を意識した態度だった。それを見た侍女たちは、一様に笑みを浮かべる。 「さあ、こちらへ」  そうして、紅華の椅子までひいてくれる念のいれようだ。 「皇帝陛下は本当にお優しくていらっしゃる」 「蔡貴妃様は、お幸せですね」  にこにことまわりの侍女が言うのを、紅華はあいまいな笑顔で受け止めた。 (でも、天明様だということを知らなければ、確かに晴明陛下はこういう方だわ)  天明の観察眼に、紅華は感心しながらお茶を飲んだ。  お茶を飲んだ後、二人はぐるりと庭を回って戻ることにした。 「あら。あちらは……通れないのですか?」  庭の端まで来ると、生け垣の途中に竹でできた扉があることに紅華は気づいた。半分以上葉で覆われているが、頻繁に開けられているのか、地面には扉の跡が残っている。  手を掛けようとした紅華の手を、天明が握った。 「紅華、そっちは通れない」 「でも、こちらを通ればわたくしの部屋の近くに出るのでは?」 「いや」  なぜか、天明は眉をひそめて言いよどむ。  紅華の記憶では、紅華の部屋へ戻るには、位置的にはこの道を進んだ方向で合っているはずだった。 「この扉の向こうには離宮が一つあるんだが……」  天明は、言いにくそうにしながら続ける。 「絶対、その宮には近づいてはいけない。どうせここは鍵がかかっているから、開けることはできないが、万が一ということもある」 「鍵が? なぜですの?」  しばらく迷った後、天明は低い声で言った。 「その宮には、一人の罪人が閉じ込められている」 「え……」  天明は、思いがけず真剣な表情を浮かべている。 「その罪人は、決してその宮から出ることができない。一生」  思いがけない重い言葉に、紅華は息を飲む。 「何故、ですの?」  天明は、ちらりとその生け垣の向こうに視線を向ける。繁る葉で、紅華のいる場所からはそちらにあるという宮は見えない。 「俺の口からは言えない。後宮の中はどこへ行ってもいい。ただ、この先だけは、絶対に行ってはだめだ」 「私が、貴妃になってもですか?」 「俺一人の判断で答えられる問題じゃないから、今は何とも言えない。ここは……」  天明は、眉をひそめてその宮がある方向に視線を向ける。 「後宮にある監獄だ」 「監獄……」  そこまで言うには、ただごとではない。  たとえば皇帝を弑しようとした者なら即刻打ち首だ。罪を背負ってなお生かして閉じ込めておくとは、よほどの寵愛を得た妃でもいるのだろうか。  難しい顔をした紅華に、天明は重ねて言った。 「だから、この先には絶対いかないと約束してくれ」 「それは、私に後宮を去れと言ったことと関係がありますか?」  不意打ちに尋ねられ、天明は紅華を見つめた。 「あるかもしれないし、ないかもしれない」 「天明様は、今でも、私に後宮を去れ、と言いますか?」 「ああ」  即答だった。二人は無言で見つめあう。 「わかりました。この先にはいきません」  それを聞いて天明は、微かに笑んだ。ざあ、と風が吹いて一面の牡丹が揺れる。  美しかった庭が急に恐ろしいものに思えてきて、紅華は少しだけ震えた。   ☆
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