第三章 牡丹の庭

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 睡蓮は、晴明のことを嫌いではないと言っていたし、その身を案じる姿は嘘でも振りでもなかった。なのになぜか晴明の前にでると、今のように硬い表情になる。 「後宮での生活は不自由なく過ごしている?」  二人で卓につくと、晴明がおっとりと聞いてきた。  紅華はわずかに考えてから、笑んで言った。 「はい、おかげさまでつつがなくすごしております」  先日あやうく怪我をするところだったのでつつがなく、と言えるかどうかは疑問だが、ほんわりした晴明の様子を見ているとあの出来事もまるで遠い昔の事のように思えてしまう。 (晴明様、こう見えてもああいう世界で生きているのよね)  紅華は、あらためて晴明の背後にある大きなものを実感した。 「なかなか会いに行く暇もなくて、悪いね。言い訳のように聞こえるかもしれないけれど、今は前陛下時代の引継ぎがあって本当に忙しいんだ」  無意識なのか、晴明が、ほう、とため息を吐く。 「ええ、わかっているつもりですわ。わたくしは大丈夫ですから、陛下こそお体にはお気をつけてください。体と言えば、天明様は」 「紅華殿」  ふいに、晴明が紅華の言葉を遮った。おだやかで聞き上手の晴明と話す時には今までなかったことで、紅華はきょとんとする。そんな紅華を見ながら、晴明はわずかに口角をあげた自分の唇に人差し指をあてた。 「その名を無闇に口にしてはいけない」  低く囁くような声だったが、そこには畏怖すら感じるほどの威圧感があった。穏やかなその顔を、紅華は初めて、怖いと思った。 「いいね?」 「はい……」 「いい子だ」  紅華がかすれた声で返事をした時には、もう晴明はいつも通りの笑顔に戻っていた。 「あの……今日の謁見は、大変なのですか?」   触れてはいけない話題なのだと察した紅華は、話を変える。 「顔見せだけだから、大変ということもないかな。ただ、新皇帝としての技量をまずは第一印象で推し量られる場ではあるから、これでも緊張はしているんだよ」  晴明のやわらかなものごしと笑顔は相変わらずだ。 (以前睡蓮も、天明様の話はしない方がいいと言っていたわね。あの時には、もっと軽く考えていたのだけれど……そんな簡単な話ではないのかもしれない) 「そうなのですか。この時間で、少しでも緊張がほぐれると良いのですけれど」  なるべく紅華も、普段通りに話を続ける。 「ありがとう。もう少ししたら落ち着くから、君のもとにも通えるようになるよ。ああ、でも」  睡蓮が、運んできたお茶を二人の前に置く。その手元を見ながら、晴明は続けた。 「喪中の内は、まだ夜をともにすることができないから、まずは食事を一緒にどうかな」 「もちろん、喜んで。けれど、ご無理をなさらないでください。時間ならこれからいくらでもあるんですもの」 「紅華殿は、優しいね。初めて持つ妃が君でよかった」  ふわりと笑う晴明は、どこまでも優しい。晴明の二面性を目の当たりにした紅華は、きゅ、と唇を引き結んだ。 (私は、こういう方の妃になるのね)  お茶を手に取った紅華は、何気なく睡蓮に視線を向けて、は、とする。  うつむいて唇をかみしめたその表情は、何かを必死に耐えているようだった。 「睡蓮……?」  思わず声をかける。だが、紅華に向けた顔は、いつも通りの笑顔だった。 「はい、いかがいたしました?」
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