第一章 皇帝陛下

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「それに蔡家としても、貴女が寵姫の一人として後宮にひっそりと入るより、晴明陛下の貴妃となられる方が都合がよかろう」  国としては、蔡家を実家に持つ紅華が後宮にいれば、誰の妃でもかまわないのだ。  またここでも、蔡家だ。  げんなりとした紅華の、家に帰れると思って浮かれていた気分が一気に下降する。 (結局、幸せな結婚なんて、夢のまた夢よね) 「われわれはしばらくの間、陛下の葬儀で忙しくなる。紅華殿が参加されるものはないので、ごゆるりとお過ごし下され。後宮の準備は二日後になるため、申し訳ないがそれまでは宮城の一室にとどまっていただく」 「……かしこまりました」  その時、背後の扉が開き誰かが入ってきた。なにげなく振り向いた紅華は、そこにいた人物を見て動きを止める。 「晴明皇子」  立ち上がった宰相の言葉と葬送のための真っ白い喪服で、その人物が誰かはすぐに分かった。  背が高かった。涼やかな顔立ちは、紅華の思っていたような傲岸不遜な皇帝の印象とあまりにもかけ離れている。それでも、凛とした姿で落ち着いて歩いて来る様は、さすがに威厳があった。  紅華はあわててその男性の方をきちんと向くと、腕を組んで膝をついた。  紅華の前で足をとめた男性は、低い声で言った。 「黎晴明だ」 「蔡紅華にございます」 「顔をあげて」  穏やかな声で言われて、紅華はおそるおそる顔をあげる。緊張する紅華に、晴明は優しく微笑んだ。 「よかった。とても可愛らしいお嬢さんだ」 「……え」  優しい声音で言われて、紅華は動揺する。そんな風に穏やかな皇帝など、想像もしていなかったのだ。  硬直してしまった紅華を気にすることもなく、晴明は続けた。 「せっかく来てくれたのに、慌ただしくてすまないね」 「いえ、もったいないお言葉ありがとうございます。この度は、まことにお悔やみ申し上げます」 「ありがとう」  紅華の悔やみの言葉を聞いて、晴明は小さく息を吐いた。 「それで、少し事情が変わったんだけど、もう宰相に聞いたかな」  は、として紅華は、困ったような顔で微笑む晴明をまじまじと見あげてしまった。 (そっか。今度の皇帝……この人が、私の夫になるんだ)  悪い人ではなさそうだし、若くて顔もすこぶるいい。はっきり言って、とても好みだ。  だが、どれほど顔や人当たりが良くても、中身まで良い人という保証はない。それを痛烈に味わったばかりの紅華は、すぐには諸手を上げて喜べなかった。 (もしまた、裏切られるようなことがあったら……)  どうせ政略結婚なのだから、そこに愛だの裏切りだのは関係ないのかもしれない。ましてや場所は後宮だ。妃のなすべきことは、ただ世継ぎを産むことだけ。下手に皇帝など愛してしまうと、辛くなるのは目に見えている。  紅華は、そんな結婚生活はできることならしたくなかった。 「わ……わたくしは庶民の出自ゆえ、皇帝陛下に相応しい身分をもってはおりません。陛下の妃にはもっと気高い貴族のご令嬢の方がお似合いになるかと存じます」  遠回しに妃を断ろうとした紅華の言葉に、晴明はわずかに目を見開いた。それから複雑な表情になると、紅華の顔を覗き込む。 「私の妃は嫌かい?」 「めっそうもございません! この身にはあまる光栄。なれど」 「では、このまま家に帰るかい?」 「え?」 「陛下」  黙って聞いていた宰相が、口をはさんだ。 「紅華殿は、先ほど宮城に到着なされたばかりでお疲れのご様子。なにはともあれ、まずはゆっくり休んでいただくのがよろしいかと」 「ああ、そうだね。気が付かなくて悪かった」 「いえ……」  晴明は優雅に目を瞬かせると、もう一度紅華を見つめた。 「突然のことで戸惑いもあるとは思うが、どうかこのままとどまって私の妃となってほしい」
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