4人が本棚に入れています
本棚に追加
そう気づいた瞬間、くらりとめまいがして、心のすみでなにかが切れる音がした。彼に背を向ける。
「打ち合わせまでうちにいていいよ」
「え、いいの? でも俺、美由んちの鍵持ってないよ」
「オートロックだから大丈夫。ただ……もう、二度と来ないでね。迷惑なの」
早口でそう言うと、彼の返事を待たずに外へと出た。背後で自動ロックの鈍い音を聞きながら、エレベーターへ向かう。
どうして、あんなことを言ったんだ。きっと今の私の顔は、化粧でごまかせないほど青ざめている。
私がマンションに帰るころには、もう彼はいないだろう。そう思うと、少しだけ救われた気分にもなった。今日はもう、彼に会うことはないのだ。今日だけじゃない。きっと二度と会うことはないだろう。彼はいつだって私の言葉を尊重するのだから。
それと同時に、自分に嫌気がさす。こうやって、また私は逃げるのだ。そして、彼は追ってこない。三年前と同じだ。私はなにも変われないまま時間を浪費し、心を疲弊させていく。彼はなにも知らないまま、私を想い続ける。
終わらせたい。奇跡でも偶然でもいいから、この停滞した時間を動かすきっかけがほしい。
マンションの内廊下は静かで、他に住人がいるのか疑わしいほどだった。淡いシルバーの白熱灯が、私を冷たく照らす。防音仕様のカーペットが足音をすべて吸い込み、この空間に私さえもいないように錯覚させていた。
エレベーターのボタンを押し、到着するのを待つ。部屋にいる和樹のことを忘れようとするほど、彼の笑みも声も色濃く私の中に広がり続けていた。
彼にもっと会いたいのに、会いたくない。彼に触れたいのに、触れられたくない。愛してほしいのに、愛せない。ゆるしたいのに、ゆるせない。
こんな葛藤も、もう今日で終わりだ。
ああ、そうだ。私が、終わらせてしまった。
最初のコメントを投稿しよう!