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空っぽになった皿とコップを流しに置く。和樹は隣に立って、蛇口のハンドルレバーに手をかけた。
「俺が洗ってもいいかな。ごちそうになったし」
ほら。またやさしく問いかけてくる。彼には強引さという言葉がないのだろうか。
「……少しだけだし、お願いしようかな」
そう答えると、和樹は一瞬驚いた顔になったが、すぐに満面の笑みになる。そんなに皿洗いが好きなんだろうか。それに、ごちそうとは到底言えない質素な食事しか出していない。
いや、彼にとって食事の質は重要ではないのだろう。
ただ、私と――。
「……怖かったんだ」
テーブルを拭いていた私は、背後から聞こえたその言葉が和樹のものだと気づくのに、ワンテンポ遅れてしまった。
彼の方を振り返られなかった。視線を宙にさまよわせていると、独り言のような言葉が続く。
「美由に嫌われたんじゃないかって思って、本当に怖かった」
小さな声だった。あまりにもささやかな声だったせいで、私は彼の心を聞き取ってしまったんじゃないかと思ってしまった。
「こういうこと言うの、最低だと思うけど、あの後さ、美由以外の女の人と何人か付き合ったんだ。でも、ふとした時に美由のことを思い出して、やっぱり俺は美由のことが大切なんだなって」
〝好き〟ではなく、〝大切〟と表現したのはわざとなのだろうか。それとも無意識なのだろうか。
「こんなこと、今更言っても信じてくれないだろうけど。俺は美由のことずっと大切にしたいと思ってたし、俺と一緒にいることで美由が幸せになってくれたらうれしいとも思ってた。だから、美由が別のやつを好きだって言った時、すごくつらかったけど、俺じゃなくてそいつと一緒にいれば美由が幸せになるのかなって思ったら、引きとめられなくて。……ごめん、言いたいことたくさんあるのに、上手くまとめられないや」
和樹はそれ以上、なにも言わなかった。代わりに水の音が聞こえる。もう食器は全部洗い終わっているはずなのに。
なんの音もしなくなるのが怖いのだろうか。私も怖い。このまま水の音さえしなくなったら泣き出してしまう。
私の嘘を今に至るまで疑うことなく信じ切っている彼の言葉は、私の罪悪感をかき乱し、心をぼろぼろに崩していく。どうしてそんなことを今になって言うのだろう。
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