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「なに?」
少しイラつき、鏡越しに夫を睨む。
「貸して」
突然夫が、薬剤の入ったトレーを掴んだ。
「え?」
驚く私を尻目に、夫が薬剤をかき混ぜる。
「俺が塗ってやるよ」
「あなたが?」
「だって、後ろはうまく塗れないだろ?」
刷毛に薬剤を少しつけると、「ほら、前向いて」夫はふっと目尻を下げた。
冷たい薬剤が、後頭部をゆっくり撫でる。
心地よい刷毛の感触に、私はそっと目を細めた。
ああ。
そうなのだ。
私たちは、こうして静かに老いていくのだ。
毎朝のキスも、お互いを激しく求め合うことも、ダラダラ続くメッセージのやりとりも、隠れてこっそり白髪を抜くことも、この先はもう、ないのだろう。
新婚当初の眩しく煌めく太陽はいつの間にかすっかり傾き、今はただ、消えゆく光を眺めながら、愁いを帯びた穏やかな時間を過ごしている。
やがてあたりは闇に包まれ、二人でひっそり余生を過ごすことだろう。
暗くなったら、二人で明かりを灯せばいい。
寒い夜も、身を寄せ合えば温かい。
そうやって、これからもずっと二人で歩いていくのだ。
今はまだ、昼と夜の間。
様々な色が混ざり合う、黄昏時。
沢山の色を混ぜ合わせれば、深みのある漆黒になる。
そんな二人だけの色を、これからも一緒に作っていこう。
「今度、俺のもやって」
テーブルの上にトレーを置くと、夫は髪を掻き上げた。鏡に映った生え際が、ところどころ白くなっている。
「わかった。今度の休みに」
鏡越しに目を合わせ、二人同時に笑みをこぼした。
(了)
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