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第2話 帰宅
ホールからタクシーで新幹線の駅に行き、駅のコインロッカーに預けていた僕の荷物を取り出す。
教科書やノート、参考書など夏休みの宿題や勉強に必要なものばかりだ。
「タオ、忘れ物ないよね?」
「多分…あっても、もうしょうがないかも」
「お兄ちゃん、美央も持とうか?」
僕のズボンの膝辺りを引っ張りながら、妹の美央が声を掛けてくる。
「大丈夫だよ、美央はピアニストなんだから指は大切にしないとね」
「少しくらいなら、美央も持てるもん」
僕は、今日の本選の演奏が終わったら、直接新幹線で自宅に戻ることになっていた。
そのため、夜のうちに自宅に持ち帰る荷物を整え、朝は学校のグランドピアノを借りて自主練習、それからこの駅のコインロッカーに荷物を預け、保木先生のレッスン室で最後のレッスンをし、そのあと舞台で演奏。
結果が出たのは、夜7時で、今は夜7時半。
これから新幹線で1時間半、家に帰りつくのは10時くらいになりそうだ。
長い一日だ。
疲れがあるはずだけど、さっき電話で話したはるか先生が大喜びしてくれたのを聞いて、本当に全国大会が決まったんだと実感して、不思議と疲れはあまり感じない。
「新幹線で食べるお弁当買っていこう、ああ、本当に良かった。今日で全国大会決まって…お母さん、気が抜けちゃったよ」
「何言ってるの、お母さん、明日からが本番だよ。次は全国大会なんだからね」
「タオ、相変わらずタフね」
美央は、トンカツの入ったサンドウィッチが食べたいらしく、それをせがみながら聞いてくる。
「お兄ちゃん、明後日の本選は行かなくていいの?」
「うん、今日通過したからね、もう明後日の本選は行かなくていいんだよ」
「そうなんだ、良かったね」
まだ小学1年の美央には、コンクールの仕組みは難しいようだ。
このコンクールは、本選を2ヶ所で受けることができる。予選は4か所まで。
本選で入賞できればいい、くらいの目標であれば、予選1ヶ所、本選1ヶ所でいいが、僕たちみたいに全国大会に出場したいと考えるのであれば、本選を2ヶ所受けられるように予選から組んでおいて、本選1ヶ所目で全国大会の切符が得られない場合に、もう一回チャンスを増やしておけるのだ。
僕も、妹の美央も全国大会を目指していたから、予選4か所、本選2ヶ所で組んでいた。結局、2人とも予選も本選も1ヶ所目で通過できたから、予選は2ヶ所、本選は1ヶ所でしか演奏しないで済んでいた。
そのために、妹も僕の寮に近い会場まで本選を受けに来て、すでに全国大会の切符を得ていた。
つまり、兄弟そろって全国大会出場。
僕は、2年ぶりの全国大会、そして美央は初めての全国大会だ。
新幹線に乗り込み、弁当を開けたら、気分が少しゆったりとしてきた。
「はるか先生は何て?」
「うん、すごく喜んでくれて。明日、夕方から一度来てほしいって言われたよ」
「そう、時間は?」
「明日、ゆっくり起きてからLINEで教えてって。明日は通常レッスンが休みみたいだよ」
「あ、そうだったわね。レッスンスケジュールで休講になってたわ」
僕は好物のシュウマイ弁当を選んでいた。
美央が窓側、お母さんがその横の通路側、そして僕は通路を挟んだ隣の席に座って、小声で話す。
「はるか先生にまたレッスンしてもらえるなんて、夢みたいだなぁ」
「保木先生がアドバイスしてくれたお陰よね」
そう、本選が終わったら自宅に戻った方がいい、というのは、今習っている保木先生の勧めだった。
今年の年明け、全国大会のために僕は自宅に戻らず、寮でピアノを練習し保木先生のレッスンに通った。
結果は銅賞と悪くないものだったけど、正直、寮から友人も続々と帰っていく中、ピアノに向き合い続けるのは精神的に厳しいものがあった。
保木先生は、そんな僕の様子を感じ取っていたのだろう。7月に入った頃、このコンクールで本選を通過したら自宅に戻って、夏休みの間、はるか先生のレッスンを受けてはどうか、と勧めてくれたのだ。
自宅に戻れば、両親もいるし、妹の美央とビーグル犬のシャルロットと一緒に遊んで気も紛れる。
全国大会で最高のパフォーマンスをするためにも、練習環境を整える必要があった。
保木先生は、はるか先生にもあらかじめ連絡を取ってくれていたようで、お盆中は通常レッスンが休講だから、全国大会のためのレッスンが入れられることと、レッスン以外の時間はレッスンスタジオのグランドピアノを貸してくれることになっていた。
自宅にもグランドピアノはあるけど、妹の美央も練習しないといけないし、僕だけが独占できるわけじゃない。
しかも、はるか先生のレッスンスタジオにはグランドピアノが2台あるから、タッチや響きなどの違いに触れることもできる。
なにより、はるか先生に会えるだけで、心が弾むしテンションをあげながら全国大会に向けて仕上げていけそう…!
僕は、はやく明日の夕方にならないかなぁと思いながら、シュウマイを平らげた。
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