魔法の目

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「幻滅しましたか?」  どうだろうか、否と答えるのも嘘になるし、肯定するのも違う。先生の嘘の告白が僕の体の中で溶けて混ざり合うと、徐々にさまざまな感情が湧き上がって入り乱れ、戦い始めた。 「全部嘘だったというのなら、旅のあいだ僕に教えてくれた魔法はなんだったんですか?」なんとか絞り出した声は笑ってしまうほど震えていた。 「あれは本当のことです。私の経験や遠い昔から積み重ねられてきた知恵をあなたに伝えました。」優しく微笑んで先生は言った。「この世界には、経験や受け継がれてきた知恵、研ぎ澄まされた感覚のように、魔法ではないけれど魔法みたいな力が全ての生き物に存在していると思うんです。私が教えたのはそういったものの一部です。」  今や僕が旅の供をした、艶やかな白金の髪に淡緑の瞳を輝かせる若々しい先生はどこにもいなかった。すぐ隣の椅子に腰掛け、とうにぬるくなった紅茶の入ったカップを手に、かまどの火を見つめているのは、拭い去ることの出来ない皺が深く刻み込まれた年老いた女だ。炎に照らされて白金の髪は弱々しい白髪のようになり、無数の皺には暗い影が落ちている。 「それじゃあ魔法の目なんてものはないんですね。」 「元々この村のあたりのごく狭い地域で、普通人が気付かないような変化に気づく細かな目配りができる人や鋭い観察眼を持つ人のことを魔法の目、と呼んでいたんです。」  薪が大きく爆ぜた。燃え尽きて灰や炭になったその上に、今にも死んでしまいそうな小さな炎が力なく揺れている。夜の帳が、深く僕たちを飲み込まんとしている。  渇いた喉を潤すために紅茶の入ったカップに手を伸ばした。もうすっかり冷え切っていて、死んだように冷たい。ぐい、と一気に飲み干すとわずかに生き返った心地がした。 「先生のことは会う前からとても尊敬していました。だから先生の言うことは、一文字も漏らさぬよう体に染み込ませてきたつもりです。」自然と笑みがこぼれた。先生の嘘なんてどうでもよかったのかもしれない。僕は先生という、一人の人間が見ている世界に興味があったのだろう。「今思えば僕は、きっと先生のその目で世界を見たかったんだと思います。」  僕の中で嵐のように荒れ狂っていた感情に、徐々に晴れ間が差し、ゆっくりと落ち着いていくのを感じた。先生はとても穏やかな様子で、眠っているように微動だにせず、椅子の背もたれに身を任せている。その目蓋は閉じられており、彼女もまた心の中で感情の整理をしているのだろう。 「見ている世界を完全に共有することは不可能です。無意味なことです。あなたはまだ若いのだから、様々なことに感覚を研ぎ澄まし、自身の感受性で世界を見るべきだと思います。」  とても力強い言葉だった。腹の奥がぐっと熱くなるような衝撃。
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