YOU

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「……ねぇ、お金ちょうだい…」  古びた改札からまた古びた改札を抜け、僕は少し遠くまできた。僕の前世の僅かな備忘録に記されている場所で、そこにはふと行きたくなる時がある。男と寝てる時とかね。だから実際に足を運ぶことは稀だった。  かつては都市開発から見放されたこの土地は、今では美しい景観を残した地域であると、僕は勝手に思っている。改札を抜けて、いくつかゴミ屋敷やセイタカアワダチソウの群生する空き地の横を通った。綺麗な豪邸や外壁の剥がれ落ちそうになっている児童養護施設の横も通り過ぎる。  僕は川に対して低い堤防にたどり着いた。そこにはお情けのような野球やテニスのコートがあり、野球側では少年野球の試合をしていた。僕はそれを川へ向かって下がっている原っぱにゴロリと体を寝そべらせて観戦する。  試合は一方が17点差もある酷い内容だった。バスケの試合と見間違えてるのかと思ったが、少年たちは一つの小さな白いボールを投げ、カキーンという気持ちの良い音を出してした。だが、それも17点差となっては気持ちも良くない。コールドゲームというものがこの世にはあった気がするが。向こうの世界には無いようだった。  見ると着ている服からちがっていた。一方は綺麗で、みんな揃っているけど、もう一方のチームはユニフォームもバラバラで赤いヴィブスを上から着ている。どちを応援していたかと言うと、僕は赤ヴィブスの方を応援していた。僕の応援のかいがあってか、18点差で攻守のチェンジとなった。  あとは消化だ。そんな雰囲気が綺麗なユニフォームを着ているチームからでていた。投手は顔を綻ばせている。そんな彼からなげられた玉は、素人目にもふわりと浮いているように見えた。(それにしたって僕には打てないけど)  カーン。ずっと空振りだった赤ヴィブスの少年がその甘い球を打った。戦意喪失して、空振りをしたって、すぐにthree outになったって、誰も怒り出す雰囲気ではなかったのに。その子の目は、赤く揺らぎながらもどこか野生的であった。  その玉は空を飛び……飛び……もしかしたら、また点差が縮まるのでは無いか。  ちょうどそんな時だった。    目の前に小さな手がかざされた。一瞬オヤジがりにでも襲われるのかと思い身構えたが、その手はやけに小さかった。  そういえば、声も高い気がした。  それに何やら不穏な言葉だったような気もしてきた。  僕が体を起こすと、小学校入学前か低学年か。多分そのくらいの年端もいかない少年が立ち上がった。  同じ目線になる事が怖いのだろうか。見上げた少年は、毛玉のついたキャラクターTシャツに薄ぼけた青いズボンを身につけていた。顔立ちはまぁまぁ可愛い。先程の言葉の内容を疑ってしまうほどにはね。  でもそれは事実だ。少年は「…んっ」と喉から声を絞り出して、精一杯手を僕に伸ばしていた。緊張からか背伸びをして、自然と体を大きく見せようとしている仕草に見えて、これはこれで野生的だと思った。 「んー」  僕は渋った。 「………」  少年は僕を見下げて黙っていた。 「それじゃだめかな」 「なんで…」  可愛らしい顔がくしゃりとする。 「だってね。君がどこかの悪い男に弱みを握られていて『あのひ弱な男から金を巻き上げて来い』と指示されていた場合、僕はお金を渡してはいけないし、もしかしたら警察に届けなければならないからさ」  このくらいの子供は可愛い。警察という単語にビクッと背筋を伸ばす。視線が汗と共に浮いていた。そんな少年とは対照に、僕は感心していた。この子は嗅覚が良いんだな。僕はそう思った。  僕も嗅覚が良い方だ。こんなの誰にも言われた事は無いので自論に他ならないがね。なんだか嗅ぎ慣れた匂いがした。 「何に使うかわかれば、僕は君にそれなりのお金を渡しただろうね」   「……ポテト…食べたい…」搾かすみたいな声で少年が言った。 「そう。じゃビックマックセットにおもちゃ付き、なんならナゲットも食べな」  ぺろっと僕は財布から一枚野口を出した。本当はハッピーセットの値段なんて分からないけど。僕は自信満々に渡した。値上がりなんてしてたらどうしよう。 「え……なんで…」 「それは君が考えても良い事だけど、考えなくても良い事だと思わないかい?」  少年は黙った。しばらく黙った。紙を握りしめる手が湿っていたようでグシャッという音はならなかった。  少年から視線を外し、僕はまたゴロリと寝転んで試合を見ることを再開した。1点取り返していたけど、2点取られていた。その後試合には″ワーッ!″も″キャーッ!″も無くて、いつの間にか僕は眠ってしまっていた。    ※  気がつくと、また少年がいた。今度は隣に座って、赤い入れ物に入ったポテトを持っていた。他には何もない。口元には透明な塩粒が見える。 「…んっ」  少年は少し足りないくらいのおつりを握りしめて僕に突き出した。その手を僕は軽く手を振って退ける。  少年はまた黙った。  しばらく黙って、ポケットにチャリンと音を奏でてから、ポリポリとポテトを食べる。  僕は体を起こした。野球の試合は終わっていて、今度は奥の方でどこかの大学サークルがテニスをしていた。地面が整備されていないのか、ボールがよく分からない方向に行くのでその度にキャーキャーと楽しそうだった。  少年は持って帰らず、ずっと僕の横でポリポリ食べてる。きっとここで食べ切って、ゴミは帰る前にどこかに捨てるのだろう。 「君は頭が良いね。僕は君と似てる人を知っているよ」  僕がポテトを摘むと、少年はほっと安心したような顔を見せた。 「……可哀想な人?」 「いや。その人は社長になって、今じゃ豪遊さ。ポテトなんて飽きて、もう食べていないさ」 「じゃあ僕とは違う……僕はポテトを飽きたりしない…」  僕はもう一本と伸ばした手を止め、タバコを咥えた。ジュボッ。コンビニのクジで当たったらしいオイルライターで火をつけた。煙を肺に目一杯入れ、吐き出す。その瞬間は頭まで煙が浸透してるようだった。 「彼も同じ事を言っていたよ」  この子は彼と同じような匂いがした。雪の下のフキノトウのような。しっとり冷たい空気に、暖かい昼間の匂いが混ざっている。そんな匂い。僕とは反対の匂い。 「…おじさん…臭いよ…」 「ふうん?」  僕はニヤッと笑って、浅く煙を吐いた。そして少年がポテトを食べ終わるまで、おじさんの定義について、自論を展開する事にした。それはとてもつまらなかったのか、少年はパクパクとあっという間にポテトを食べ切っていた。  帰り際、少年がポテトを飽きないといいな。そんなテレパシーを夕方の空に送った。
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