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暗い夜の匂い。街中に出れば、ネオンや香水や酒の匂い。ヌルッと纏わり付くような夜の人の匂い。嗅ぎ慣れた匂いにどこか落ち着く。
夜の街によくある平凡なビルの2階。腐れ縁のママがいるバーは僕のテリトリーの1つで、野良犬を快く迎え入れてくれる。2人くらいしか入れないエレベーターから、廊下に出ると、入り口には看板も無い。
でも扉を開けると、茶色を基調としたシックなバーカウンターが目に入り、ジュークボックスからBillie Holiday&Lester Youngがながれていた。
「もぉ〜ユウくんったら遅い!」
しゃがれ声を上擦らせたような声音。髪の毛はオレンジで長く、上でポニーテールが作れるくらい長い。そして黄色やピンクのマーブル色の薄いカーディガンを羽織っている。いつも通りのママ。個性がフィリピン爆竹並みだった。でも唇も目も薄く、長く通った鼻筋。爆竹並みの個性はママの顔立ちと合わさるとまるで魔法のように色気として受け入れられた。目尻には薄いしわがあるけど、ママの年齢は不詳である。この界隈でも厳重に隠されている秘密事項であった。
「どうしたのママ?」
僕は答えた。
「ほら〜あそこ!」
ママが赤いネイルの爪で、奥のテーブルを指すと金髪の青年が、界隈の男どもに集られている。
それは最近僕に懐いている子だった。″男を誘うテクニックを教えて欲しい″だって。可愛くて誘われているのかと思った。
その子は僕と寝てみたいと言っていたけど、僕は断った。その子は僕達とは違う匂いがする。その子もいつもポテトを食べていた。ママもよく許してるものだ。追い出さないのはきっと、その子がとても端正な顔立ちをしていて、素直で可愛らしいからだ。ママ好み。ちなみに女のように見えるけど、ママは男だ。
あの子もあの子でよくこんな古ぼけたバーにくるものだ、なんてママには言えないけど。ちなみに僕はママのセンスはピカイチだと思っているよ。
「永遠くんまた絡まれて〜いい加減男のあしらい方くらい教えてやんなさい!」
お母さんのように心配するママに僕は苦笑を浮かべた。
僕はあの子とは寝てはいけない。そんな気がする。可愛らしい子が堕ちるのも嫌いじゃないけどさ。僕は思い出してしまうんだ。
あの短歌を作った彼を。
※
「 」
忘れかけた僕の名前。彼に言われて僕は久々に捨てたティッシュの存在に気づいた。
彼はハイエナのような顔つきになっていた。偶然か必然か運命か。僕はそんなのよくわらないけど、それは突然だった。
変わり果てた彼と過去を捨て去った僕は再開した。彼の中には過去の僕がいたけど、僕の中の彼はグシャグシャに捨てられた後だった。
だから特に驚きもせず、僕は彼と寝た。
彼とのセックスはもう備忘録にしか無いけど、ドラスティックに違っていた。突き上げる力強さに僕は悲鳴に近い喘ぎを上げた。前立腺を擦る楔は大きくて、行きずりの男の中でも群を抜いている。僕も負けじと中から締め上げ、ベッドの上で腰を揺らした。彼も気に入ってくれたのか、中のものをいっそう硬く大きくさせて、そして僕の腰や二の腕、首筋に噛みつく。跡がつくのはよくないから噛みつくのはやめてほしいと言うと、彼は甘噛みか舐めるだけにしてくれた。その舌の感触はザラザラしていたが、粘りのある舌が体に快感を絡みつかせ僕を更に昂らせた。
僕の中で何度か出しても治らない彼の欲望を、僕は唇や舌であやし、喉の奥を締め付けて受け止める。萎えると、下生えに隠された睾丸に吸い付き、勃起させてやる。何度勃起できるか試してみたが、僕が疲れて最後に中出しして彼とのセックスを終えた。
その後に彼は自分の話してくれた。会社の社長になって子供も奥さんもいて、とても幸せだという。それはワンコの彼を思い出すと至極当然のように納得してしまう。
けれど目の前の彼は鋭い目つきに獰猛さを隠そうともせず、頬はこけているし、目も浮き出そうになっている。褐色の肌は黒とも言えるくらい色が悪い。その訳を、彼の続けた言葉でまた納得した。
「ヘロイン、お前もやるか?」
安いホテルのベッドで互いの体温が溶け合う。彼からは昼の匂いが薄れていた。そんな事が分かるくらいの近さ。肩をくっつけて寝ているのだから当たり前だ。
備忘録に記されていた彼とグシャグシャにするのを戸惑っていた僕はもうどこにもいない。
彼は落ちた。
僕はそれを受け止めたつもりだった。
「遠慮するよ。僕には合わないんだ。喉がカラカラになるし、頭がつま先にくっついたみたいにぐわんぐわんして酷い目にあった」
「量が合ってないんだよ」
「ふうん。ポテトにしなよ。好きだったろ?」
「味がよく分からないんだ」
「ふうん。そう」
僕は小さな丸いサイドテーブルから、タバコを一本取り出す。そこでライターを持っていない事に気がついた。
僕が興味を示さないと、彼はベッドから降りてゴソゴソとカバンから粉とアルミ箔、そしてコンビニのクジで当たったと言うオイルライターを出した。ベッド脇に背をもたれかけ、自分の分だけアルミ箔の上に乗せると下からライターで炙り吸い込んでいた。上手く吸い込まなかったのかゲホゲホと咳込んで、でもその後は恍惚そうな表情を浮かべた。
先程まで苦しんでいたとは思えない安らかな表情。でも瞳には苦しんでいた時の涙が溢れて、頬を伝う。それは顎から落ち、闇に消えた。
僕は彼の持っていたライターを手から取ってみたが、無反応だった。ジュボっとタバコに火をつけた。
僕は彼の頬の線を眺めた。
もう一筋流れた涙に僕は片手を伸ばす。
それはやはり闇に溶けた。ぱたっと僕の指を濡らしたけど、それが温いのか、冷たいのか僕にはよく分からなかった。
ただ彼は落ちたのだ。そう思っていた。
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