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星落ちる
刹那の光 闇に溶け
流れた跡と
君の熱
いつだったか、彼はそんな短歌を作っていた。いつかは分からない。それは僕の捨て去った黄色い粘り気のある鼻水を吸い込んだティッシュと同じような過去か、はたまた抜け落ちた縮れた毛みたいな記憶か。おおよそどちからにいたはずだったが、今は覚えていない。彼の名前も同様に覚えていなかった。でもティッシュとともにぐしゃぐしゃにする事を、最後まで抵抗していたようだった気がする。ささやかながら、僕には少しそんなものが残っていた。
彼が僕にとってどのような存在だったのか。名前は思い出せないが、前世の備忘録みたいなものが僕にはある。これはそこらの道端で人の人生を狂わせる占い師よりは当たるけどなんの役にも立たったことは無かった。
彼は捨て犬だ。それも子犬。つぶらな瞳に、愛くるしい顔立ち。種類は雑種なのだろう、我らが黒い毛並みの下から白やら黄色やらの地肌のをちらつかせる中、彼は黒髪に褐色。クウンと喉を鳴らせば、連れ帰らない事なんて出来ない可愛らしさがあった。
もちろん比喩だ。短歌を読むような犬がいたら、ダーウィンもびっくりだし、僕より頭が良い犬なんていたら今まで人間の皮を被ってやっと生きてきた僕の価値は、家畜以下だと今度こそ認定されてしまう。しかし世の中には喋る犬は本当にいるらしい。腐れ縁のバーのママは無類の犬好きで、そのような世にも奇妙な真実を口にしていた。
ママ曰く、この世の犬は人間よりも頭が良く、人間に可愛がられる程度の知能を晒す事で愛玩ペットとして可愛がられる存在の位置を確立しているらしい。だったら保健所の犬達や酷い人間に虐待されてる犬達はどうなるんだろうか。そんな事を思ってはいたが、ママには言えなかった。
多分、犬界隈でもそれ相応に様々あるのだろう。なんせ生まれた瞬間に値段がつけられる世界だ。存在価値が種類によって差別されるとは我ら人間界など到底及ばない世界。(まぁイケメンかどうかで変わるなら、同じかもね)値段がつかないものもいるし、値段がついても価値がなくなるものもいる。
そんな野良なのか保健所なのかはたまた虐待されるか、未来と価値が打ち止められた下位ワンコ達をを上位ワンコはきっと「来世では良い事あるよ」そんな事をテレパシーか何かを使って哀れんでるかもしれない。
少なくとも僕は思うさ。おまけで僕はさらにこう付け加える。
大丈夫さ。きっと僕の来世は下位のワンコだ。そしたら次は君たちが僕を哀れめば良い。
※
錆び付いた駅に行くまでに僕は古い小さなペットショップの前を通り過ぎる。ショーウィンドウには宝石よりも煌めく瞳を持った子犬や子猫がいて、狭い入口の手前にはサークルがあって、それなりに大きなワンコがいた。
ショーウィンドウの宝石達は、僕が新しい男と寝るよりは遅く、恋人ができるよりは早いくらいの頻度で度々種類や顔つきが変わっていた。さびれてはいるが、人は多い街だ。でもワンコの顔つきが分かるなんて、中々だと思わないか。ペットショップの店員もいいかもなぁなんて、タバコ一本吸い終わるくらいまでは考えていた。
タバコを咥えて歩いていると入口前ワンコはいつも僕に吠えてくる。こげ茶の純日本風の可愛らしい犬だが、吠え方がギャンギャンとヴァイオリンの弦を引きちぎらんとする鳴き方だった。
そのワンコはここを通る時ずっといる。でもそのワンコは上位だろう。ペットショップの店長からの、オヤツとご飯のおかげかいつのまにかギャンギャン鳴きはヴァンヴァンと少し低くなっていた。
僕がテレパシーを送っているのはその後ろにいるワンコだった。一度も目があった事が無い、不器用なワンコ。でもそのワンコは長くこのペットショップにいたが、いつの間にか居なくなっていた。
相変わらず吠えるワンコはいた。もしかしたら上位ワンコになったのかもしれない。僕のテレパシーが無駄打ちである事を祈りつつ、吠えるワンコを通り過ぎてから新しいタバコを咥えた。
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