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 それに気が付いたのは十一の頃である。  放映されていた刑事ドラマのある一節で、私の心は奇妙な程に揺れ動いたのだ。それはトリックを暴いた瞬間でも、犯人との銃撃戦でも無く、被害者役の女優が殺害される、(まさ)にその光景だった。(すこぶ)る気味の悪い感銘であった。言わずもがな、意図的なフィクションの姿であれど、あまりにヒンヤリと冷たく、無機質な鈍器でその後頭部を殴打され、僅か数分前まで、人間くさい言葉を発してた女性が、途端パタリと、生の火を水浸しにされたような死人となる、その演技が、何故か私の心象に突き刺さったのである。針だ。針のようだった。ナイフや(のこぎり)や、銃で貫かれたものとは違う、スッと、極小の間を突かれたような、そんな鋭く、哀しい、そういう感覚だった。  狂気的に美しかった。  血だとか殺意だとか、そんな野蛮で生々しいもののすぐ隣で、外部から攻撃され倒れ込んだ、その神秘的な見姿が、あたかも白と黒のようなミステリアスな対比を示していたのだ。実際のところ、この時は大して心中を咎めることは無かった。歳が歳ということもあって、いわゆる思春期特有のサイケデリックへの関心ともするべきか、グロテスクへの耐性が一種のステータスと見なされる、そういう類の、要は一般的に恐れ(はばか)るものへ執着する珍しい人間、と見栄を張っているだけなのかと、私はそう思うようにしておいた。そう思っておかないと、とても不安だったのである。  さりとて、私の貪欲は尽きることを知らなかった。漠然とした抽象的な、あの誘引の正体を日に日に知るようになった。血でも殺意でもなかった。私のそれは、人が生から死へ突き落とされる、そんな残酷なワンシーンに強くときめく、歪んだ性癖だったのだ。正直、薄気味悪いものだった。多様性を尊重せども、少なくとも私には、そう簡単に受け入れられぬものであるはずなのに、私の真の本性とすべきか、皮膚と肉の隙間に隠れ住んでいるかのような、私の顔をした見知らぬ私が、(いびつ)なそれをギュッと嫌気無く抱き締めるのである。限り無く近辺にうっすらと滲み出る、『本当の私』が却って不気味で仕方がなかったのだ。他人には話せなかった。話すことで、私が、つまりそう言う人なのだと思われるであろうことを怖がっていた。親には心配事をかけさせたくない気持ちで話さなかった。一人その本性を抱えて私は歩いた。道端に空き缶が捨てられていれば近くの塵箱へ捨てた。小銭が落ちていれば少額であろうと届けた。御年寄には席を積極的に譲った。とにかく勉強して、風紀を乱さず、福祉活動も行い、模範生の肩書きを得ようとした。そうやって、皮膚と肉のその上に、さらに聖人君子の皮を着用し、自分の真の姿がケダモノであることから目を逸らしていたのだ。  それでも、穢れた欲は思い起こす度に肥大化していった。やがてモヤモヤはハッキリと自意識に変わっていた。気にも止めたくないそれが、眼前に現れた。合わせたくも無いピントがはっきり合った。私の心が、答えた。耳を塞ぎたくなるほどに鮮明に答えを出した。 「私は、白く艶やかな皮膚に、一線の切り傷を付け、その表情を目に染み込ませたいのだ」  心の声は塞ぐ手を無視して曇り無く現れた。くっきりと浮かび上がった。怨恨や嫌悪だとかそういうのではなくて、言ってしまえばただの薄汚い好奇心、自分の手で他人を強く変容させてしまいたいという、ドラマチックでもロマンチックでも無い渇望である。  因りて自らを最低だと罵った。どの点から見ても、私は私を理解出来ないのだ。純粋な性欲が麗しく思えた。生への導きたる性欲は、私の中でねじ曲がって死への引導となったのだ。生命、神、人間、社会、あらゆるものへの冒涜に感じた。汚染された水面より複雑な色欲である。  私は趣味を増やす事にした。目を逸らせないので、自分の眼前に要素をとにかく注ぎ込み、黒ずんだ情欲を覆い隠そうとしたのだ。それは楽しむ為ではない。苦しまない為なのだ。一種の現実逃避なのである。基本学習の他に勉学の幅を増やした。天文学、心理学、文学、デザイン学、歴史学─────等々、気分を変えて様々な分野に手を伸ばし口を付け、本能から逃げていた。  しかし、私は何とも愚かな錯覚をするようになった。私は私を、秀才か何かだと思い込んだのである。事実、基本的な現代文や数学すら、まともに習得しきれていないのだ。学士の称号からはお世辞にも近いと言えぬ成績だった。理解したつもりになっていたのである。学びに興じていたのでは無い。結局は、様々な領域を知る自分を崇めていたのだ。聞き齧った学問の門前を巡った程度で、そう錯視していたのだ。いや確かに、全くもって知識の欠片すらも把握していない訳ではなくとも、私を隠すために覆った優等生の皮と相まって、より私の現実性は滑稽なものとなっていた。良く言えば広く浅く、だったけれども、裏返せば誰にも優るものが無かったのだ。  私はあまりに中途半端なのである。愚かにもなれない、賢さにもなれない。外見こそ、一瞥しただけなら、満点とまでは行かなくとも、平均以上には常在していそうな風貌でありながら、蓋を開けてみれば、本()も粉々のみっともない人間だったのだ。たとえ愚者であろうと、身丈にあった毛皮を羽織っているだろうが、あろう事か私は賢者の顔をした愚者なのである。賢者の面だから愚者の仲間にも入れず、愚者の脳だから賢者と見聞を交わすことも出来ぬのだ。そんな私の中で唯一、虚ろに輝くものこそが、あの貪欲なのだった。  けれど、その輝きは輝きでも、睥睨によるものであった。私の心の弱みと言うか、グシャグシャッと皺が入り乱れて、縮こまって生まれたその隙に、正に『スキ有り』と急所を突かれたかのように、私はぐったりとそれに凭れ込んだ。劣等感、醜いほど卑下したことによる、寂しく、胃壁とかその周囲に真っ暗な穴───それも、皮肉にも風通しが良さげなほど空いた穴を埋める為に、私は求めた。慈愛も、友情も、無言の慰めも、想像して欲したが、依存して釘付けになることも無く、目線が勝手に動いていくほど噛み合わぬものだった。  いやはや、やはり、そんな暗闇の路傍の中でも、たった一つ、空の北極星とも見違える輝きが居た。  嗚呼、情欲である。傷付けて、痛み苦しむその顔、隠して見て見ぬふりをしたそのパトスこそが、しっくりと、一寸の狂いも溝も存在しない無二のパーツであり、我が羞恥の空洞に綺麗に嵌ったのだ。  それからは早かった。酷く、俊敏に私の虚無感やら欲求不満は解消されていった。肩が軽くなった。なり過ぎて、筋肉も骨も溶けて失ったかと思える、不気味な救済であった。その時の私は、十八に成っていた。
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