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誕生日が特別な日ではなくなったのはいつからだろう。時期のせいか日の出から仕事へ行き、日が沈むのを眺めながら帰宅する。
家に帰っても誰もいない。1人暮らしだから仕方がない。友達は夜遅くまで仕事。
平坦な1日を過ごして、きっと今日も終わるのだと思っていた。
「ただいま」
「お帰り」
家に帰ると、出迎えてくれる人がいて驚いた。そう言えば、今はこの人がいるんだった。あまりに1人でいる期間が長すぎて忘れていた。
「来てたんだ」
「そりゃあ、君の特別な日なんだからね。お祝いしたくてさ」
屈託無い笑顔を見せてくる彼は、私には分不相応なほど申し分ない男性だ。
料理ができて、洗濯も掃除もしてくれる。ただし片付けが苦手で部屋の埃や汚れは無くなっても散らかしっぱなしのように見えるのが不思議だ。
私も人並み程度に家事はできる。だが、人に作って貰えるなら作って貰いたいと思うのも人間の性だ。
「今日のディナーは?」
「パエリアと、鳥の煮付け、それにフルーツサラダとデザートが冷蔵庫にあるよ」
「ナイス!」
彼は私がお酒を好きではないことを知っている。数十年前、私が二十歳の時に母が脳卒中で亡くしているのを知っているからだ。
母は酒もタバコもしていた。だから私は同じ鉄を踏まないように酒もタバコも断固拒否している。同じ遺伝子を持つ者同士。油断はできない。
私は彼に促されるまま、シャワーを浴びて1日の疲れと汚れを落としてさっぱりした。
その間、料理を暖め直してくれた彼が笑顔で出迎えてくれる。
「座って、お姫様」
「お姫様なんて年じゃないんだけど?」
もう30半ばの良いおばさんだ。その表現は普通に恥ずかしい。
「君がお姫様なら、僕は王子様になれるから、君にはお姫様でいて欲しいなぁ」
恥ずかしい台詞をスラスラ言ってくる。赤面する私を見て、クスクス笑ってくるものだから面白くない。
唇を尖らせてそっぽを向くと、頬に手を添えられて軽く口付けを落とされた。
「!?」
「ごめん。君があまりにも可愛くて、ついキスしちゃった」
「~~~っ、タラシ!!」
「そのタラシに捕まったんだから、君は諦めた方がいいよ?」
二の句が継げない私に、彼は真っ直ぐな瞳を向けて言葉を紡いだ。
「生まれてきて、僕に出会ってくれてありがとう。まだまだ不甲斐ない僕だけど、これからもよろしくね」
不甲斐なくなんてない。恋愛に関しては初心で素直になれない私だけど、彼の言葉に答えたい一心で、指先だけ彼の手の甲に触れた。
「……ちら、こそ。よろしく、したい、です」
辿々しく言葉を返せば、彼は満面の笑みを浮かべて私を抱き寄せた。
「うん。精一杯、愛してあげるからね」
彼はもう一度、私の頬に唇を落とし、更には額や耳に何度も触れてきた。
唇同士のキスはしない。それでも恋愛経験のない私には嬉しさと恥ずかしさが込み上がってきて、思わず彼の胸に顔を押し付けてしがみついた。
「好き」
「愛してます」
「それはーーーズルい」
「君ほどじゃあないよ」
私は彼の優しさに甘えている。そして彼も、私の甘さに甘えているだけだと知っているからズルいと思った。
(私と彼の関係は恋人以上配偶者未満でいなければいけないんだ)
それが私と彼の“約束”だから、破ってはいけない決まりごと。
独りぼっちではない誕生日。
私は後何回、彼と共に過ごせるのだろうか。
幸せと寂しさを覚えながら、私はソッと目を閉じた。
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