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「三年前に亡くなったの。聞いてなかった?」
「聞いてない! どうして!?」
兄さんとは電話で話しもしていたし、そんな話題全く上がってこなかった。弟を不安にさせない為? まさか! そんなに子供じゃあない!
「――自殺したの」愛美から発せられた言葉に、将仁は息を飲んだ。
「大量の睡眠薬とアルコールを飲んで自殺したの。遺書を残して。パパとママの寝室で」
愛美は自分の胸に手をやると、リボンを握り締めた。
「私、その日、後輩の打ち上げだったの。引退した三年生は参加しなくても良いのに、後輩たちにどうしてもってせがまれて、悪い気はしなかったから、顔を出して……それがいけなかった。真っ直ぐに家に帰っていたら、ママは自殺しなかった」
リボンを握り締めながら、彼女は俯いた。将仁は愛美の旋毛を見て将仁はレンズ奥の目を閉じる。
――愛美さんのせいじゃない。君が早く帰っていても帰らなかったにせよ。彼女は死を選んでいた。アルコールだけじゃない。睡眠薬まで用意して遺書まで準備をしていたなら、その気があったのだ。その理由は……。
「何故自殺したんだろう? 遺書の中身は読んだ? お酒と睡眠薬では薬の量を相当飲まなければ死に至らないし、命を落とすまでの量が手元にあったのなら、睡眠薬の常習だったんだよね。処方してもらっていたって事は優希さんは、毎晩それがないと眠れない程に追い込まれていたのかな? 私の記憶……兄さんから送られてくる家族写真はすごく幸せそうだったんだけど、四年前から家族旅行の写真が送られてこなくなったんだよね。兄さんは仕事が忙しくなったから旅行に行けていないって言ってはいたけど、もしやそれって嘘だったのかな? 四年前に兄さんと優希さんとの間に何かあったのかな? 兄さんが優希さんを自殺に追い込んでしまう程の何かあ」
「ったのかな」と語尾を段々と小さくして、将仁は言葉を切った。
ピンと空気が張り、エアコンが効いている事が原因でもなんでもなく。凍えるのでは? という程に冷たい空気が流れ。将仁は頭を抱え込んでしまいたくなる。目の前に座る愛美の表情は顔が俯いているお陰で読めないが、彼女を纏う空気が変わったのは将仁は分かった。
(し、し、しまったーーーー! つい、疑問に思ってしまって、口に出してしまった!)
「――ほんっとうに、ごめんなさい!!」
将仁は盛大に頭を下げて、畳に額を付けた。『ジャパニーズ土下座』である。一時期職場でそれが流行り将仁はアメリカで「して見せろ」と同僚達から何度も促されたが頑なにしなかった。謝る事なんぞしていないのだ。しかし。今回ばかりは、自分が悪い。
額が付いて、ゴッと音が鳴って愛美は驚いてしまい将仁の頭を上げさせようと、彼の肩を抱いて持ち上げる。すると、彼の本当に申し訳なさそうで、潤んだ目と目が合って愛美は母性本能を擽られてしまった。三十五歳の男にも関わらず童顔で人好きそうな年上の男を見るのは初めてだった。父親が……過保護に面倒を見てしまうのも致し方ないと思ってしまう。それほどに三十五の大人なのに、ひどく頼りなさそうに見えてしまうのだ。
「本当にごめんなさい。兄さん……父親を亡くしたばかりなのに不躾な事言って……。疑問に思うと口に出しちゃうんだよね。そのせいで日本では友達一人も居ないし」
ぼそぼそと喋る将仁を見て、思わず「分かる」と口に出てしまった。が、将仁は気にしている様子はなく、
「海外でも変人扱いだし、一言多かったから人を怒らせる天才って言われていたし」
『分かる』――今度は心中で呟いた。愛美は申し訳なさそうにして眉を下げる叔父を見て弱々しく笑って首を横に振った。「大丈夫」と明るい声が将仁の耳に届いて、将仁は顔を上げた。
「たくさん泣いたから」
愛美は将仁にそう言って、安心させるようにして笑みを作った。その顔は──父親を亡くしたばかりの女の子にしては飛びっきりの笑顔で不釣り合いのように思えたが、この時ばかりは将仁は自分を安心させる為だろうと、結論付けた。
将仁は「本当にごめんね。喋らない方が良いっていつも言われるんだ」
「喋ってくれないとつまらないから、喋って」
と愛美は叔父を見て笑った。
将仁は脱力しつつ、嫌われなかったと胸を撫で下ろした。それと、両親が亡くなったという事は、彼女は一人じゃないか。
「おばあちゃんは」
愛美の口からそう発せられて将仁は彼女を見た。
「死因は睡眠薬過剰摂取とアルコール。その状態でお風呂に入って溺れて亡くなったんだよね」
(おばちゃんとは……私の母親の事、か)
「でも、おばあちゃんって自殺じゃないんだよね。でもママもおばあちゃんもお酒と薬って所同じだし、うちって呪われているのかな……」
「へ……?」
将仁は目をパチパチさせながら首を傾げた。
「母は自殺だ」と口を開こうとしたら緊張感のない腹の虫が「ぐうぅううう」と鳴る。将仁は咄嗟に自分の腹を抑え込んだ。
少しの間が空き、
「こ、こっち帰ってきてから何も食べていなくて……」
恥ずかしい、と将仁は顔を覆い隠してまたもや額を畳につけた。穴が合ったら入りたいとはこういう事か。
「へっ」
抜けたような声がして将仁は顔を上げる。すると、目の前の少女がはちきれんばかりの笑顔で腹を抱えながら笑い転げ将仁はそれを呆然として眺めた。
「へっへへへっ!」
笑い声が変な気もするが――その笑顔の方が、今日初めて会うのに彼女らしいと将仁は心の底から思った。写真立ての中の彼女がそこにいたからだ。
「簡単なものでも良い?」
そう言いながら愛美は立ち上がり、未だに顔を真っ赤にする将仁を見下ろした。
「好き嫌いないから何でもいいよ」
「任せて。私の得意料理、作ってあげるから!」
歯を見せてニシシと笑った愛美に将仁も歯を見せて笑顔を返したのだった。
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