閉幕

2/2
前へ
/34ページ
次へ
花魁とは今で言うトップスターだった。 実在の花魁を描いた浮世絵が人気を博し、ファッションや髪型が町娘の間でブームとなってみんながこぞって真似をした。 江戸時代が今よりも性に対してオープンで男女ともにおおらかに楽しめる時代だったからこそ、このような文化が根付いたと言える。 明治、大正、昭和と規模を縮小しつつも存続した吉原遊郭は、昭和33年の売春禁止法により完全に幕を下ろした。 遊女について詠まれた有名な歌がある。 『生まれては苦界 死しては浄閑寺』 遊女は親に売られ、生まれて生きることさえ苦痛の立場であった。 そして老いて価値を失うと投げ込み寺へと葬られ、死してもなお寄る()のないことを嘆いた歌である。 「光」と「闇」 花魁という華やかなイメージの陰で、何千人もの遊女達が非遇の死を遂げた。 そのことを決して、忘れてはならない──────…… 0683a07a-d259-455b-b4d0-0c97756cd605
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!

152人が本棚に入れています
本棚に追加