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見物人達を押しのけて、稲本屋の楼主が部屋に入ってきた。
「小春を身請けしたいという客がいると聞いて来てみたら…こんな何処の馬の骨かもわからんゴロツキとは……」
男の身なりを見て楼主はあからさまに嫌な顔をした。
良かった…楼主ならマトモな判断をして男を追い返してくれそうだ。
「この子は武士の血を引く血筋で将来有望な花魁候補でしてな。800は頂かないと割が合わね。あんたに払えるんか?」
武士?有望?誰が?
てか、800ってなに?800両?
花魁である姉さんの身請額と同等だなんてふっかけすぎだ!
余りの額にビビったのか男は押し黙った。
頬杖をついてじっくりと考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「1000だ。」
……はい?
「身請金は1000両出す。」
えっ…な、なんでさらに金額を釣り上げてんの?!
※しつこい様だが一両とは今の貨幣価値にしたらおよそ10万である。1000両=一億円!
「三ヶ月後にきっちり用意する。だからそれまでは俺以外の客は小春には取らすな。」
これは今日の分だといって小袋を投げ渡してきた。
見るとなんと百両も入っていた。帯封のついた小判なんて初めて見た……
さっきまで男に向かって凄みを利かしていた楼主の顔が一気にふやけた。
100両もの大金をポンと投げ渡すだなんて……
こいつ…一体何者なの───────?
周囲からの視線を一身に浴びた男はスクッと立ち上がると、歌舞伎の見得のごとく手の平を大きく前に突き出し腰を深く落とした。
大股開きの間から、隠れていた派手な裏地がガバッとあらわれた。
「俺の名は歌山花月。絵師を生業としているもんだ。」
──────歌山花月って………
それを聞いた姉さんの目が輝いた。
茶屋のそこかしこからもどよめきの声が上がる……
それもそのはず、歌山花月とは今一番勢いのある浮世絵師の名前だったからだ。
高尾姉さんが大事にしている海老様の浮世絵もこの人が描いたものである。
江戸時代も後期になってくると、たくさんの浮世絵師が積み上げてきた技法や画風が成熟を極め、爛熟期を迎えた。
この頃の浮世絵界を牛耳っていたのは歌山派という大派閥。それを率いていた男こそ、この歌山花月だったのだ。
歌山花月は美人画から役者絵、黄表紙や合巻の挿絵、はたまた煙草入れや手ぬぐいまで手広く手がけており、出せば瞬く間に売れるという絶大な人気を誇っていた。
そんな彼を慕ってたくさんの絵師が弟子入りを希望し、名実ともに巨大勢力を形成していたのだ。
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