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本気も本気
稲本屋の二階の奥にある部屋へと通された。
こんな豪華な個室をあてがわれるだなんて、駆け出し遊女にしては破格の扱いだ。
男は私と二人っきりになると、イタズラが成功した子供みたいに得意気に話しかけてきた。
「どうだ?惚れた腫れたの気分は味わえたか?」
あれのどこに恋に落ちる要素があったっていうんだろうか?
驚きの連続で目ん玉なら落っこちそうにはなった。
「どういうつもり?私に惚れてるだなんて…おふざけなら止めて!」
「本気も本気。ちょ〜本気。」
何なのこの答え方…ふざけてるとしか言いようがないんだけど?
身請したいだなんて嘘っぱちだっ。
私をからかって遊んでるんだ!
「そんなふくれっ面すんな。俺は今夜おまえを一晩自由に出来るんだからな?」
くっ……悔しいっ。
身請は有り得ないとしても、水揚げはこいつとしなければならない。
わなわなと震える私を知り目に、男は腰に差していた煙管を取り出すと刻みタバコを丸め始めた。
部屋のど真ん中に敷いてある布団が妙に艶めかしく見えてきた。
男女の目交いなら勉強のためにと何度も目の当たりにしてきた。
慣れてはいるつもりでいたけれど、いざ自分が今からアレをするとなると緊張のせいか頭にか〜っと血が上ってきた。
花魁になるためには通らなきゃいけない道だ。
こんなことでビビってなんかいられない。嫌な野郎が相手だろうが、必ずや乗り越えてみせる!
「……おいっ。」
「きゃ──!!」
男の顔が間近にあったので叫んでしまった。
男は眉間にシワを寄せながらシッシッと手で私をどかせた。
どうやら私の後ろにあった行灯の火を火種として使いたかったらしい。
ビックリした……襲われるかと思った。
いや、襲ってもらわなきゃ困るんだった。
「あのっ歌山様。」
「夫婦になるんだ。花月って呼んでくれ。」
めおとって……
その生々しい響きに一瞬たじろいでしまった。
本気なんだかふざけてるんだか……
そもそも花魁を初めとする遊女の前結びの帯には一夜妻という意味合いが込められていたりする。
客は遊郭に一夜限りの妻を求めてやってくるのだ。
この男の心の本意がどこにあるかだなんて、私が気にすることではない。
今は水揚げを無事に終えることが最重要任務なのだ。
「花月さんの今夜のお相手はきちんと務めさせて頂きます。でもその…私、初めてだから……」
「やっとその気になったか。じゃあ俺の言う通りにしろ。」
花月はそう言うと、吸い終わった灰を灰吹きにポンと落とした。
先ずは立ち上がって後ろを向き、顔だけ横に曲げろと言われた。
その通りにすると、今度は帯を少し緩めて両肩を出せと言ってきた。
離れた位置で少しだけ着物をはだけさすだなんて、私が今まで見てきた男女のやり取りにこんなのはなかった。
次の指示を待ったのだが、それっきりず──っと黙ったままだった。
えっと……なんだこれ?
「あのっ……」
振り向こうとしたら動くなと強く言われた。
吉原にはいろいろ変わった趣味を持った客がくるらしいが、これは一体どんな性癖なのだろう……
横目で花月の方をコソッと見ると、なにやら紙に墨で絵を描いているようだった。
なんで今ここで絵を描く必要があるのだろうか……?
絵師とは男女の目交いの前に絵を描く決まりでもあるのだろうか……
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