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「おまえ葵ってのが死んだ時、涙ひとつ流さないどころか怒っただろ?」
……葵ちゃん……
葵ちゃんの笑った顔を思い出すと息苦しくなる。
悲しくなかったわけじゃない。
それどころか半身をもがれたようで気が狂いそうだった。
私は吉原では泣かないと決めていて、葵ちゃんもそれは知っていた。
だからこそ、ここで泣いてしまったら負けだと思ったんだ。
「般若のような表情の中に菩薩のような哀愁が漂ってた。あんな表情を魅せる女がこの世にいるのかとゾクッとしたねえ。」
これは…褒められているのだろうか貶されているのだろうか……
「その表情を見て描きたいと思ったんだ。」
目的が私でただ絵を描きたいだけだったのなら、わざわざ水揚げやら身請やらなんて大騒ぎする必要はなかったんじゃないだろうか……
再び花月のことをコソッと盗み見した。
迷いなく動かす筆先を見つめる瞳の奥で、激しい炎が燃え盛っているように見えた。
体からも漲る鬼迫に煽られ、お腹の奥がジンと熱くなるのを感じて堪らず目を逸らした。
なんだか足に力が入らなくなってきた。思わずふらついてしまうと動くんじゃねえと怒鳴られた。
私は一体いつまで石みたいにじっとしてなきゃならないのだろうか。
男の身勝手な言い分にだんだんと腹が立ってきて意を決して振り向いた。
「あのねえ!」
「お、その振り向いた感じもいいな。そのまま目線だけ下に伏せてくれ。」
「えっ……こう?」
「裾からチラリとだけ足を出せるか?」
こんな感じかな……って。もう!なんなの?!
動かない体勢というのは結構体力を使うし節々が痛くなってくる。
私は寺の苦行僧か?
本来の目的である水揚げはどこいった?!
「俺が描きたいって思うのは惚れたってことだ。分かったか?」
「分かんない!!」
ただ一つ分かったことは、こんな自分勝手に盛大にふりまわしてくれる男の妻になれたところで、幸せにはなれんということだ。
その後も立ちポーズを三つばかし要求され、男がようやく満足した頃には丑三つ時をとっくに越えていた。
布団の上にヘナヘナと座り込んだ。
疲れた……もうこのままぐっすりと眠りたい。
行灯に照らされた影が揺らりと近付いてきたかと思ったら、花月が倒れた私を後ろから包み込むように抱きしめてきた。
ドキッとして思わず逃れようと体をねじった。
「どした?今日の目的は水揚げだろ。」
「そ、そうなんだけど……」
今日はもうしないんだと油断していた。
手馴れた様子で私の帯を外し始めるのでわわっと戸惑ってしまったのだが、あっという間に長襦袢だけにされてしまった。
私を見つめる花月の視線が熱い。
先程までの炎のような熱とは違って凄く艶っぽくて…男の人でもこんな目をするんだとドキリとしてしまった。
その色香に圧倒されて、どこを見たらいいのかも分からなくなってきた。
「あのっ……花月!」
「ん?なんだ?」
「そのっ、優しく、お願いするで…ありんす……」
ダメだ…声が震える。
お腹の奥がジンジンしてすっごく痛くなってきた。悲しくもないのに涙が潤んできてしまう……
花月は借りてきた子猫のようにプルプルと震える私を見てブハッと吹き出した。
「やっぱおまえいいなあ。可愛いわ。」
私の頭を撫でると優しく口吸をした。
「安心しろ。小春が言うように、1000両用意するまでは指一本触れないでいてやるよ。」
えっ……
てか今、口吸したよね?吸い付くような激しいものではなかったけれど……
これは指じゃなくて口だから良いとか?
突っ込みたいところだが重要なのはそこではない。
「……まさか、身請って本気だったの?」
「信じてなかったのか?」
「本気で私に惚れてるのっ?」
「それも信じてなかったのか?」
………うっ…そでしょ……?
信じられない気持ちで花月のことをまじまじと見つめていると、参ったなあと呟きながら横を向いて頬を赤らめた。
今までの傍若無人な振る舞いとは打って変わったシャイな振る舞いに、花月の本気度が伝わってきた。
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