落とし穴

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どう声をかけていいのかが分からない…… 高尾姉さんの美しい顔のど真ん中に、硬くて大きなゴム腫が出来ていたからだ。 こうなってしまっては花魁どころか吉原一の大見世といわれる稲本屋にも置いてはおけない。 あんなに客を取る相手には気を付けていたのに…… ショックを受けて何も言えないでいる私に、高尾姉さんは鼻声でふふっと笑った。 「小春はもう直ぐやねえ。私は半年後やから…そん時は江戸の町で小春の好きな団子でも食べようかあ?」 ……高尾姉さん……… 私に気を遣わせないでおこうとする高尾姉さんの優しさが痛いほど身に染みた。 「……うん。そん時は私が奢るから、絶対会おうね。」 「小春も頼もしゅうなったなあ。楽しみにしてるわねえ。」 若い衆に寄りかかりながらおぼつかない足取りで去っていく高尾姉さんを、見えなくなるまで見送った。 高尾姉さんなら大丈夫……病気になんて負けやしない。 大丈夫、大丈夫だと…… 拳を握りしめながら自分自身に言い聞かせた───────…… 暮れ六つ。 一本の柳の木が立つ角を曲がり、五十街道を歩いてくる姿が小さく見えた。 いつもの縞模様の羽織を着ているから遠くからでも直ぐに分かる。 私は花月がやって来るのを大門のそばでじっと待った。 「どした小春?こんなとこまで迎えに来てるだなんて。」 不安で不安で…少しでも早く花月に会いたかったのだ。 顔を見てホッとはしたけれど、それと同時に堪えていた悲しみが押し寄せてきた。 「なんだ?今日こそおまえの泣きっ面が拝めんのか?今朝別れたばかりなのにもう俺が恋しくなったか?」 花月は私の頭を撫でながら冗談ぽくからかってきた。 高尾姉さんのこと、花月に言えば俺が何とかしてやると言うだろう……花月とはそういう男だ。 でも、病気だけはどうしようもならない…… 花月は私の神妙な様子に、眉をひそめて覗き込んできた。 「小春……何があった?」 話したところで迷惑になるだけかも知れない。 それでも花月に頼りたくて、口を開こうとしたその時…… 「花月先生っ!!」 後ろから青年が追いかけるようにして駆け寄ってきた。 花月を先生と呼んでいるので、門下生なのだろうけれど…… 木製の眼鏡をかけた青年は私に一礼してから花月にそっと耳打ちをした。彼からの話を聞いた花月の顔色が一瞬で青ざめた。 「すまない小春、問題が起きた。片付けたらまた直ぐに来るから部屋で待ってろ。」 急いで去っていく後ろ姿に高尾姉さんの影が重なり、言いようのない不安に胸が押し潰されそうになった。 その後丑三つ時になっても花月は戻らず、久しぶりに一人で寝る布団はとても寂しくて…… 吉原にいる間は決して流さないと心に決めていた涙が一筋、頬をつたった。
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