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鐘の音
大丈夫。泣かない。
振り出しに戻っただけ。
私はまだ負けてない。
私は花魁になる。
大丈夫……大丈夫だ────────……
「はあ?歌山様と喧嘩別れしただと?」
次の日、私は楼主に報告した。
花月との身請話は撤回され、稲本屋にももう二度と来ることはないと宣言されたのだと……
折檻されるのも覚悟の上だったのだが、楼主はボロ雑巾みたいに床に這いつくばってむせび泣いた。
1000両の歌までうたって物凄く浮かれていたからな……
「小春!あんた今日から張見世に並ぶがか?」
部屋で身支度をしていたらお薗さんが飛び込んできた。
私への特別待遇は終わり、一人部屋から大部屋へと移ってみんなと同じように客を取るために張見世へと並ぶのだ。
「仲直りすればええろう?何が原因かは知らんけど、せめて明後日の約束の日までは待てばええのに……」
「待つだけ無駄。彼には身請するお金がないの。」
めそめそとしながら待ったところでチャンスは巡ってこない。
この吉原では、自分の足でしっかりと前に進まなきゃならないんだ。
「げに……小春の気の強さはうちの若い頃によく似ちゅーわ。まあ応援するき、頑張っとーせ。」
「遣手ばばあのお薗さんに似てるとか言われてもな〜。」
お薗さんにお尻をペシペシと叩かれながら一階へと下りた。
張見世の座る位置には決まりがある。
正面の目立つ位置に座れるのは上級女郎で、私のような新米者は左右どちらかの脇が定位置だ。
しかし困ったな……
花月と何度も寝床を共にしといて、まさかまだ処女ですとは楼主にもお園さんにも言えなかった。
初めてって、痛いんだよね……
「あーら花魁気取りの子が端っこに座ってるわ。」
「振られるなんて惨め〜いい気味〜。」
後からやってきた正面を牛耳る姉さん達が、笑いながら嫌味を言ってきた。
こんな仕打ちを受けるぐらいは想定内だ。気にしてられない。
しっかし、散々花月のお金で飲み食いしときながらこの態度とは恐れ入る。
今にみてろ……私が狙うは花魁だ。
部屋持ちでもないあんたらなんてあっという間に蹴散らして私がど真ん中に陣取ってやる。
夜見世の時刻が近づくと楼主は神棚に商売繁盛を願って拍子木を打ち、本坪鈴をシャンシャンと鳴らす。
その音が聞こえてくると見習い遊女が見世先で景気良く三味線の糸をはじき始め、若い衆も音に合わせて下足札の束をカランカランと鳴らして合いの手を入れた。
大行灯が灯る中、見世のあちこちから聞こえてくるその独特の音色はとても情緒があった。
昼見世の時間は客も少なく冷やかしだけの者も多いが、夜になると町の装いはガラリと変わり、人も増えて賑やかになる。
上客が現れる率も夜の方が格段に高い。
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