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花月ならこんな無粋な扱いは絶対にしない。
私に触れてくる花月の温もりはとても繊細で優しかった。もっと深く触れ合いたいとさえ思った。
なぜ素直になれなかったのだろう……
前だけを向くと誓ったはずなのに、未練がましく思い出してしまう自分が情けなくなる……
罰が当たったんだ。
これは、花月を傷付けて怒らせた私への罰だ。
諦めて受け入れるんだっ……
─────────覚悟を決めろっ!
老君は後ろからいきり立つモノを局部に押し当て、強引にねじ込もうとしてきた。
遠くから、激しく打ち鳴らされる鐘の音が聞こえてきた。
「……なんだこの音は?」
それは老君の耳にも届いたらしく、動きが止まった。
風に乗って微かに煙の匂いが漂っている……
これは半鐘の音だ。どこかで火事が起きたに違いない。
障子を開けて外を見ると空に火の粉が舞っているのが見えた。
火事だと気付いた老君は悲鳴を上げながら階下へと駆け下りていった。
一人で逃げてくなんて呆れる。女の扱いがまるでなっていないとんでもなく野暮な野郎だった。
あんな奴に貞操を奪われなくて良かった。
「小春!主さんが叫びながら出て行ったけど、あんたなんかしでかしたがか?!」
「何言ってんのお薗さん。火事だよ、火事!」
お薗さんの手を引いて階段を下りると、楼主や若い衆が血相を変えて荷物をまとめていた。
「二人とも早く吉原から避難して下さい!!」
吉原からって……大門から出ろってこと?
強風に煽られた火種が吉原のあちこちに飛び散り、四方八方から火の手が上がって既に手が付けられない状態なのだという。
何度か火事はあったけれど、いつもとはまるで規模が違っていた。
仲之町通りに出ると逃げ惑う人々でごった返していた。
東の空が真っ赤に染まっている。あそこは高尾姉さんがいる河岸見世の方角だ……
高尾姉さんは無事に逃げれたのだろうか?
一人じゃまともに歩けないのに……
「小春どっちに行くが!」
「先に行ってて!高尾姉さんが心配だから見てくる!」
必死に引き止めようとするお薗さんを振り切って東へと駆け出した。
火の勢いが凄い。この辺りが火元なのかも知れない……
息をする度に肺が焼けそうになり、熱気で目玉も茹で上がりそうになった。
「燃えろ!みんな燃えちまえっ!!」
燃え盛る町の中で一人の若い遊女が気が狂ったかのように喚いていた。
あの子は確か……女衒に連れてこられたのを見たことがあった子だ。
年がいっているから格下の妓楼に売られて直ぐに客を取らされるのだろうなと思ったのを覚えている。
髪が燃えているのに消そうともせず、松明を持つ手で建物に次々と火を放っていた。
吉原での火事の大半は遊女による放火が原因だった。
放火をしたら例えボヤに終わっても一般的には火あぶりの刑に処されるが、遊女の場合は流刑や幽閉の刑で済んでいた。
幕府でも情けをかけたくなるほどに、遊郭で働かされていた女達の境遇はとても辛くて厳しいものだったのだ。
誰が彼女を責めることが出来るだろう……
私はまだあどけなさの残る少女の脇を通り抜け、高尾姉さんのいる妓楼へと急いだ。
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