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逃避行
稲本屋のような大見世は間口が13間(約24m)あるが、河岸見世では4間(約7m)しかなく長屋のように連なっていた。
なのでそこで一度火がつけば、あっという間に燃え広がる。
煙がもうもうと立ちこめる軒先で、見慣れた着物をきた高尾姉さんが倒れているのを見つけた。
「高尾姉さん!」
近付いて名前を呼んだのだが反応が返ってこない……
梅毒により体のあちこちにゴム腫が出来ていて、鼻は大きく欠け落ちていた。
「ああ…高尾姉さん……」
痩せて細くなった手を持ち上げたのだけれど、力なくストンと落ちた。
「高尾姉さん起きて…海老様似の彼氏が待ってるんでしょ?」
肩に手を回して動かそうにも、力の抜けた体は重すぎてビクともしない。
誰かいないかと見渡すと、向かいにある妓楼の土間に大八車が置かれているのがちらりと見えた。
まだ一階部分はそんなに燃えてはいない……あれの荷台に高尾姉さんを乗せれば連れていけるかも知れない。
急いで中に入って大八車を動かそうとしたら、頭上からメキメキと音がして天井が崩れ始めた。
押しつぶされると思った瞬間、間一髪のところで体が宙に浮かんで外へと引っ張り出された。
「小春!怪我はないか?!」
──────幻でも見ているのかと思った。
私を力強く抱き寄せているのが花月だったからだ。
なんで……花月がここにいるの……?
「なんだ?俺が助けに来たのがそんなに不思議か?」
「私にムカついたって言ってたのに……」
「ありゃ自分自身にだ!小春に心にも無い事を言わせた自分の不甲斐なさに心底腹が立ったんだっ!」
嫌われたのだと思っていた……
私のついた拙い嘘なんて、花月にはお見通しだったんだ。
本音では無かったにしろあんなに酷いことを言ったのに、こんなに焼けつく炎の中を助けに来てくれた。
「ごめんなさい花月、私っ花月のこと、本当は……」
「謝んな。愛の告白なら逃げ果せてからゆっくり聞く。」
花月は私の腰に手を回すと、ひょいと肩に担いで走り出した。
「待って花月!!高尾姉さんがっ!!」
「あれはもう死んでる!大門まで突っ走るぞっ!!」
大量の火の粉を吐きながら建物が崩壊し、高尾姉さんの上に崩れ落ちた。
あの着物は私が最初に見た花魁道中で高尾姉さんが着ていたものだ。
花のようにフワッと笑う人だった。
私が憧れ、目標にしていた高尾姉さんが……
炎に包まれ……
真っ赤に…燃えていった──────────……
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