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「おおっ小春も生きてたか!良かった良かった。」
楼主が若い衆を引き連れて現れ、私の無事を確認するようにバシバシと叩いた。
逃げた者がいないかを見回っているのだろう……
稲本屋が焼けたからといって私は自由の身になれるわけじゃない。借金は消えないのだ。
「仮宅の申請はもう出したからな。早ければ来週にも営業再開するから頑張ってよ。」
火事で全焼して営業できなくなった場合、再建するまでの一定期間のみ、江戸市中の料理屋や茶屋、商家や民家などを借りて仮宅という名で臨時営業が出来る。
吉原にいる時より交通の便が良く安価で遊女が抱けるので、仮宅の方が客の入りは良くて繁盛する。
その分遊女の疲労は半端無く……
吉原で働いている方がよっぽど楽なのである。
花月と橋を渡った時に、このまま一緒に暮らせやしないかと淡い希望を描いてしまった自分が嫌になる。
結局私は、籠の中の鳥なんだ───────……
楼主は怪訝な表情を浮かべる花月にぺこりと頭を下げた。
「これはこれは歌山様。うちの大事な小春を助けて頂いてありがとうございます。」
「大事ねえ…火事で投げ出された女達をゆっくり休ませるよりも、金儲けの方がよっぽど大事なんだろ?」
楼主の顔から笑みが消えた。
私を挟んで二人の間にバチバチと火花が飛んだ。
「聞きましたよ?歌山様は借金で首が回らないとか……それを喧嘩別れだのとは、なんともお見苦しい言い訳ですな〜。」
「ああ。金がないから逃げようって誘ったら振られたんだ。でもまだ惚れてるから助けに来た。あんた、お園ってのに小春を助けに行ってくれって頼まれたのに放っとけって言ったんだろ?とんだ腰抜け野郎だな。」
ムッとした楼主は行くぞと言って私を無理やり引っ張った。
「楼主、まだ話は終わっちゃいない。もう子の刻を過ぎた。今日が約束の日だろ?」
約束って…それって私の身請のこと……?
楼主は無一文のくせに何をと鼻でせせら笑った。
「まあ金が出来たらまた声をかけて下さい。それまで小春にはみっちりと働いてもらいますから。歌山様も仮宅に是非とも足を運んで下さいな。」
本当だったら今日、花月と共にあの大門をくぐるはずだったんだ。
でもあの門も焼けてしまい、私の隣にいるのは花月じゃない。
これが現実だ……
私は粗末なつくりの仮宅で、花月とは違う何人もの男に抱かれるんだ。
それでも花月は私を愛し続けてくれるのだろうか……
そんなこと…信じて待ってみたところで虚くなるだけか……
「小春、おまえの夢はなんだ?」
なぜ今更改まってそんなことを聞くのだろう……
今の私にその質問は酷でしかない。
それでも花月に余計な心配をさせたくなくて、沈みきった気持ちを無理やり奮い立たせてキッパリと答えた。
「吉原一の、花魁になることよ。」
私を見つめる花月の瞳が悲しげに揺らいだ……
「小春、それは本音か?」
………花月?
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